新しく生まれ、命にあふれる  ヨハネ3:1~36



   プロポーズ、あの日に帰って断りたい、なんていう人がいるかもしれません。
多くの人の願いは、新しく生まれることです。それは可能なのでしょうか。はい。主イエスによって可能です。そして、新しく生まれたなら、そこにいのちが生まれます。
今日のテーマは、新しく生まれることと、いのちについてです。

1、新しく生まれることは可能

東大教授で国会議員の初老の男性が、夜、教会を訪れ、救いの道を教えてほしいと言ったとします。それが、ニコデモです。
主イエスは、ニコデモの真実な求めを一目で理解され、あなたにとって最も必要なことは新しく生まれることだ、と言われました。

 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)

 私は、教会に行き始めてしばらくたった頃、洗礼を受けたいと思いましたが勇気がなく、風呂で自分を水面に静めて、自分で洗礼のつもりになり、今日から新しい人になるぞと誓ったこともありました。もちろん、何の変化もありません。
個人の努力、知識や悟り、修行や決意などによって新しく生まれることはできません。それは、私も、あなたも経験済みです。自分の外側からの力により、自分の外側の人格との関わりだけがあなたを新しくできるのです。

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。(5節)

 新しく生まれることは、まるで風で木の葉が動くようなもので、人が新しくなった時に聖霊の存在が分かると主イエスは言われました。(8節)

主イエスを信じると告白してバプテスマ(水)を受け、神である聖霊の力と交わりを受けることにより、人は新しく生まれると、主イエスは説明されました。

 日本人は洗礼、バプテスマについてかなり誤解しています。洗礼とは、立派なクリスチャンになった人が受ける卒業式だと誤解しています。信じますと今言ったばかりの人が受ける入学式が洗礼式なのです。使徒2章には、はじめてその日に福音を聞き、信じる決心をした大勢の人がその場で洗礼を受けた記事があります。ですから、主イエスを信じますと今日決めた人は、3月に洗礼を受けましょう。「それでもクリスチャンなの?」と悪口を言われたら、入学したばかりだよと言ってください。または、PBPGINFWMYというバッジを付けておいてください。Please Be Patient, God Is Not Finished With Me Yet. 少し辛抱して下さい、神はまだ私を完成されたわけではありませんという意味です。

 神学者たちは、新しく生まれるということを次のように定義しました。

 J・I・パッカー:聖霊の主権的活動による、堕落した人間の内面的再創造
 ポール・リトル:人格の変化だけでなく全く新しい生き方をもたらすこと
 ジョン・マーレー:根源的にして、全存在に及ぶ変化
 ルイス・ベルコフ:新しい命の原理を植え付け、心の支配的な傾向をきよくする神の行為

昔、神に逆らったイスラエルの民が蛇の毒で多くの人が死んだ時、モーセが青銅で蛇を作りさおの先に取り付けました。その青銅の蛇を信仰を持って見上げる人は蛇にかまれても命が救われたという出来事が民数記21:9に書いてあります。それと同じように、十字架の上につけられた主イエスを救い主と信じる人は、救われ、新しい命が与えられるのです。

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14~15)

 ヨハネの福音書で最も有名な聖句は3:16節。In-N-Out Burgerの紙コップの裏に印刷されているJhon3:16はこの聖句のことで、ルターはこの節を「小さな聖書」と呼びました。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(3:16)

 神は、あなたをこよなく愛しています。あなたに命を与えるために、ご自分の一人子イエスを地上に送られ、十字架の上であなたの罪の身代わりに死ぬという道を作られました。

 今日、神の御子イエス・キリストを、あなたの救い主と信じませんか。私は、心を込めて、あなたにお勧めします。人生で最も大切な決断にあなたを招きます。今、主イエスを信じる祈りをしましょう。あなたは、神によって新しく生まれることができます。

 ニコデモは、主イエスを救い主として受け入れたようです。なぜそう言えるのかというと、7章では議会で主イエスを弁護し、19章では主イエスの埋葬の助けをしているからです。

 あなたの外からの力、主イエスの力によって、あなたも新しくなります。


2、新しく生まれた後の、新しい命

バプテスマのヨハネは、ヨルダン川で罪の悔い改めを意味するバプテスマをずっと授けていました。主イエスを信じる人が起きるようにと道備えをしていたのです。彼は本当に謙虚です。群集は主イエスのほうに殺到し、バプテスマの弟子たちは少し寂しそうでした。

バプテスマのヨハネは、自分は結婚式に列席した花婿の友人のように嬉しいと述べ(29節)、「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」(30節)と語りました。この言葉は、私たちの人生に適応できる味わい深い言葉です。

 さて、子供が誕生することが新生です。生まれた人だけが持つものが、命です。ヨハネ3章には、いのちに関する言及が複数あります。

 「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(15節)
「御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を得るためである。」(16節)
 「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(36節)

主イエスを信じると、その人の中で新しい命が始まります。鉄やプラスチックに、命はありません。命とは、命のあるものからしか生まれません。「この方にいのちがあった」(1:4)とあるように、主イエスはまことの命を持った方、永遠の命を持った方なのです。
命あるものは皆、育ち、成長し、躍動し、生き生きし、生きる喜びをもたらします。命は、自分の中での循環、自分の外との交わり、という二重の交わりがつながることによる、継続し、豊かになっていきます。主イエスの命は、信じることにより私たちの中で始まり、主イエスと共に歩くことにより、いのりは維持され、豊かになります。

柳瀬洋さんは、クリスチャンのクラリネット奏者で、私はとても尊敬しています。彼は芸大を卒業後、ドイツに留学し、有名な先生に付いて学びましたが、日本に帰れと叱られました。技術もある、音もいい、教えればその通りにできる、でも、あなたの音楽はないのか。
傷心の中で、彼は主イエスを救い主を信じました。主イエスを信じた喜びが強かったので、北ドイツの寒い冬の夜、自宅まで暗い道を30分飛ぶように帰り、同居していた8世帯のドアを全部たたき、「今日、クリスチャンになりました」と挨拶して回りました。
その後、演奏が楽しくなったそうです。日本に帰れと叱った鬼のような教授が、「あなたは何かをつかんだようだね」と彼の演奏を評価し応援してくれて、国際ブラームスコンテストでは最高賞を受けました。いのちが始まった印です。

いのちは人生に輝きを与えます。キリストからもらった命、輝いていますか。あの方が盛んになるとき、いのちは輝き出ます。主イエスを信じている人は、バプテスマのヨハネの心をあなたの心にして下さい。あなたの人生で、あなたの仕事で、あなたの結婚関係で、主イエスが盛んになるとき、あなたは命に溢れているのです。

自分の外側の力によって新しく生まれ、自分の外側の方と交わりを続ける中で命を持つ。

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」(30節)

→あなたの番です
     主イエスをあなたの救い主として、今日信じましょう。
     主イエスが盛んになるように、自分をゆだねましょう。
     素晴らしい救い主、主イエスを伝えましょう。