詩篇28篇 私の岩



 『結果を出す人はノートに何を書いているのか』(美崎栄一郎著)という本はとても興味深い本で、社会人になってノートを取ることの利点を述べています。自分にとって最も大切な情報はGoogle で検索することはできない。自分の経験の記録を残し、ノートを見直し、自分の将来に役立てるようにと語っています。

 ダビデは、自分の経験をノートに残した人でした。詩篇がダビデのノートです。その時々の苦悩を記録し、祈りをそのまま書きしるし、主から受けた助けを忘れないように記憶にとどめユニークな詩の形にして大切にしました。
 ですから、ダビデはその詩篇を口ずさむ時、主の助けを思い返し主をたたたはずです。
 

 
1、ダビデのノート

 詩篇28篇は3つに分けられます。
  1)苦悩の祈り(1~5節)
  2)主への賛美(6~7節)
  3)とりなし(8~9節)

 ダビデは苦しいので、祈りました。祈りがかなえられたなら、大喜びで主をたたえました。苦悩の祈りも、助けられた時の賛美も、共に現在形です。それは、ダビデがその時の気持ちをそのままメモしたからでした。

 あなたにも、勧めます。
 ノートを1冊作って下さい。苦しみをそのまま書きましょう。励まされた聖句を書き残しましょう。教えられた事を書きましょう。祈りがかなえられた事を記録しましょう。
 ダビデは以下のように祈りました。

 主よ。私はあなたに呼ばわります。私の岩よ。どうか私に耳を閉じないでください。私に口をつぐまれて、私が、穴に下る者と同じにされないように。私の願いの声を聞いてください。私があなたに助けを叫び求めるとき。私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき。(1~2節)

 
 ダビデの祈りは自己中心に見えるほど率直な祈りです。神よ。あなたは聞いていないのですか。耳を開けて聞いて下さいと切に祈っています。
 
 次の祈りは、敵を懲らしめて下さいという祈りです。そこまで言うのかというほど強い願いです。

 どうか、悪者どもや不法を行なう者どもといっしょに、私をかたづけないでください。彼らは隣人と平和を語りながら、その心には悪があるのです。彼らのすることと、彼らの行なう悪にしたがって、彼らに報いてください。その手のしわざにしたがって彼らに報い、その仕打ちに報復してください。彼らは、主のなさることもその御手のわざをも悟らないので、主は、彼らを打ちこわし、建て直さない。(3~5節)

 敵への報復を願う祈りです。
 こういう祈りがあってもいいのです。復讐は私たちのすることではなく、神にしてもらうべき事だから、これで良いのです。

 今、あなたは苦しんでいますか。誰かに苦しめられていますか。ダビデと同じように祈りましょう。



2、神は私の岩

 もう一つ、ダビデの優れた点を指摘しておきます。
 神はどんな方か、それが強く心に深く残るように、神は「私の岩」と言い切っています。その一言が、苦しい時のダビデを支えました。神はゆるがない。神は私を守る。神は力強い。それを、「私の岩」という言葉に凝縮し、自分に言い聞かせています。

 あなたが苦しい時、神はどんな方かを一言で言ってみましょう。その神に信頼し続けるのです。

 「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。」(7節)

 ダビデは、神を岩、力、盾、として心にイメージして、そこから離れませんでした。その主により頼みました。それがダビデの優れた点です。
 私たちも、同じようにしましょう。



3、賛美ととりなし

 ダビデの祈りは、かなえられました。それが嬉しくて、飛び跳ねんばかりに主をたたえています。

 ほむべきかな。主。まことに主は私の願いの声を聞かれた。主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。(6~7節)

 祈りがかなえられた時、喜ぶばかりでなく、それを記録に残しましょう。後にノートを読み返す時、必ずやあなたに勇気を与えてくれます。
 多くの人は、信仰のノートを読み直さない。祈りの言葉も、かなえられた事も、喜びの賛美も、読み返さないので、主の恵みを忘れてしまうのです。ダビデはそれを忘れないようにと詩を作ったのです。

 祈りがかなえられた後、ダビデは他の人のためとりなしの祈りをしました。

 主は、彼らの力。主は、その油そそがれた者の、救いのとりで。どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。(8~9節)

 祝福を独り占めしない。周囲の人のため祈ることを忘れないように。


 →あなたの番です
  □苦しい時、苦しみと祈りをノートに記録しましょう。
  □辛い時、神はどんな方かを一言で表現しましょう。
  □主の助けを受けたら、とりなしの祈りをしよう。