詩篇33篇 目を注ぐ神


 神の口、神の目。ダビデは二つの事を心に留め、神を賛美しました。

1、神の言葉

 まず、ダビデは、神の口に注目しました。

主のことばによって、天は造られた。
 天の万象もすべて、御口のいぶきによって。(6節)
まことに、主が仰せられると、そのようになり、
 主が命じられると、それは堅く立つ。(9節)

 言葉はコミュニケーションの道具として理解されます。ですから、神が語られたなら、私たちはそれを聞いて、祈りの言葉で応答するという図式になります。
 ですがダビデは、33篇において、コミュニケーションについてではなく、神の言葉がいかに力強いかについて言及しました。光あれ、と言うだけで光ができる。言葉で命じるだけで世界ができる。比類ない神の言葉の権威を歌います。世界、宇宙、すべての生物を造り、自然界の営みのルールを設定した神の言葉に思いをはせ、ダビデの心は賛美するのです。


2、神のまなざし

 次に、ダビデは、神の目に注目しました。

主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。
御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。(13~14節)

 神の眼差しはどこにありますか。神の作られた恒星、動物、法則などに目は向きません。神の目は、人間にだけ注がれています。神の関心は、私たち一人一人なのです。
 
 御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。
 主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。(14~15節)

 目といえば、人間の目と動物の目はずいぶん異なります。星明りでも獲物を見つけるフクロウの目は闇に強い目です。1千メートル上空からでも獲物を見つけるワシの目は、人間の何倍も画像がくっきり鮮明です。ミツバチは、人間に見えない紫外線までも見分けるので花の蜜がどこにあるかが分かります。それぞれの生き物に必須な目が与えられている事に驚きます。

 神は、人間にふさわしい目を造られました。犬や猫など哺乳類のほとんどは赤と青の二色を認識する目ですが、人間が赤、青、黄色の3色を識別し大自然の美しさに感嘆できるように造られていることに私は驚きます。
 神は人間にフルカラーを認識する眼球だけでなく、自分を見つめる目、つまり「心」をも与えました。15節に、「主は、彼らの心をそれぞれみな造り」と書いてある通りです。心という目で、人間は自分の生き方を見直し、神の言葉に共振し、心という目で神を礼拝できるのです。

 神の眼差しに応答できるのは人間だけです。心の目を神に向け、神を賛美しましょう。


3、神に信頼し、神を賛美する

 人間は、神の偉大さを忘れ、神の眼差しを感じなくなると、頼れるのは自分だけだと錯覚します。それで、国家レベルでは武力を増強することに腐心します。一人の人間なら、学歴や財産や権力や見栄えで自分を武装します。

王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。(16~17節)

 ダビデは王の立場にいましたが、頼りになるのは武力ではないと言い切りました。神に頼り、神を待ち望むことが人間のなすべき事です。

 私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。
 まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。(20~21節)

 さあ、あなたもダビデと同じ心で主を賛美しましょう。
 神の偉大さをたたえ、神の眼差しが私たちに注がれていることを感謝し、日ごとに新しい歌を生み出しながら主を賛美しましょう。

正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。(1節)

→あなたの番です
 □神の言葉の力強さを覚え、主を賛美しましょう。  
 □神の眼差しが注がれていることに感謝しましょう。
 □自分の力を過信せず、神を待ち望みましょう。