第1サムエル23:1~29 仕切りの岩

 体は前向きに、心は上向きに造られている。私にはそう思えるのです。
 ダビデは、前向きで上向きな人です。


1、主に尋ねる

 その後、ダビデに次のような知らせがあった。「今、ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています。」そこでダビデは主に伺って言った。「私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。」主はダビデに仰せられた。「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。」
(第1サムエル23:1~2)

 収穫時を狙ってペリシテ人がユダのケイラを襲った。ダビデは、ケイラを助けに行くべきかを主に尋ねた。主の答えは、「行け」、だった。
 ダビデの部下は、ケイラを助けると居場所がサウルに分かり危険になるとの指摘した。もう一度主に尋ねると、やはり「行け」だった。それで、ダビデはケイラの人々を助け、奪われた穀物を荷馬車ごと取り返した。実に前向きな生き方です。

 その後、サウルがダビデの居場所を知り、ケイラに来る可能性が高くなった。それで、再び主に尋ねた。サウルは来るでしょうか。「彼は下ってくる」(11節)もう一つダビデは尋ねた。ケイラの人は私たちを守ってくれるか、それともサウル王に寝返るでしょうか。答えは、「彼らは引き渡す」(12節)でした。それで、ダビデたちは荒野に逃げたのです。主に道を聞く姿勢は、上向きです。

 その道に困難があるから、「行くべきでしょうか」と主に尋ねます。
 今の環境が快適なので、「離れるべきでしょうか」と尋ねます。

 アメリカに住む日本人は、日本に行くべきか、居心地の良いアメリカを離れるべきか、と何度か真剣に問うものです。
 主に道を尋ねることは、自分の心にある深い井戸に桶を下して、本当の願いを組み上げる作業です。主に静かに道を聞いて下さい。
 

2、神の御名で励ます友

ダビデは、ケイラの人々から平和に離れました。怒りもせず、報復もせず、静かに部下を撤退させました。サウルなら皆殺しの場面ですね。

 サウルの子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに来て、神の御名によってダビデを力づけた。彼はダビデに言った。「恐れることはありません。私の父サウルの手があなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。私の父サウルもまた、そうなることを確かに知っているのです。」こうして、ふたりは主の前で契約を結んだ。ダビデはホレシュにとどまり、ヨナタンは自分の家へ帰った。(16~18節)

そんな時です。ヨナタンが突然訪問してきたのは。ダビデが意気消沈した時に親友がやってきたのです。友、遠方より来る、楽しからずや、です。

落胆している者には、その友から友情を。さもないと、彼は全能者への恐れを捨てるだろう。(ヨブ記6:14)

 良き友は、落胆した友のそばに出掛けていくものです。
 信仰の友は、神の御名によって励ます者です。神の視点に帰らせ、神の約束と守りを思い起こさせてくれる事が、神の御名によって励ますとことです。
 
 あなたも、良き友として、また、信仰の友として、友の傍らに行こう。


3、主の助けがある

 サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃げようとしていた。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕えようと迫って来ていたからである。そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」それでサウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人を迎え撃つために出て行った。こういうわけで、この場所は、「仕切りの岩」と呼ばれた。(26~28節)

 サウルの全軍は3000人程度、ダビデは600人。互いに同じ山の反対側を進んでいて、もう少し進めば両者は対面し、ダビデたちは全滅したことだろう。
 パレスチナ南部の荒野は、夏は雨が一滴も降らず、カラカラに乾く。雨は冬にだけ降るが、雨の流れが岩を削り、ワジという川を作り、深い谷を刻んでいた。だから、一つの山の向こうとこちらにいても敵の姿は見えないし、岩山は急斜面のため容易には上れなかった。
 サウルが、ほぼ全軍をダビデのもとに向かわせたことをペリシテ人は察知し、手薄な都市部を攻撃してきた。その知らせを受けると、サウル王はすぐに戻った。
 ヘリコプターから見下ろせば、ダビデとサウルがまもなく鉢合わせするのは分かったはずだ。主は、高いところからこの場面を見ておられて、ギリギリのタイミングでダビデを救われた。

 ラッキー!なのではない。主の守りがあったのだ。23章で鍵になる言葉は14節です。

 ダビデは荒野や要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった。(14節)

 「私の父サウルの手があなたに及ぶことはないからです。」(17節)とヨナタンが語った言葉は、14節の真実さを確認させてくれる言葉だ。

 自殺未遂をしたある女性は病院で目覚めてこう言ったそうです。「あれだけたくさん切ったのに死ねなかった」。
 考えてみてください。体は簡単には死なないように造られたのです。体はあきらめないのです。出血すると、脾臓が収縮、アドレナリンが出て、毛細血管も収縮します。空気に触れれば、血液内の物質が凝固して傷をふさごうとします。あなたが危険にさらされると、普段さらさら流れている血は、あなたを守るため自分を殺して固くなるようにして傷口をふさぐのです。
 神は、あなたが危機に陥ってもあきらめません。サウルのような存在があなたを襲っても、主た守って下さるのです。何度も危機がやって来ても、「神はダビデをサウルの手に渡さ」ないのです。

 ロナルド・ピンカートンさんは、クリスチャンです。彼がパラグライダーで上空1200mを飛んでいた時、突風が吹き、一気に100mの高さまで落ちました。今までで経験したことのない風で、コントロール不可能でした。ちょうど右下2mのところに小型の鷹が同じように強風に苦労して羽をバタつかせていました。風は収まることがなく、為すすべがありません。すると鷹は、地面に向けて真っ逆さまに進路を取り、急降下しました。自分の力も経験も知識も通用しないと悟ったロナルドさんは鷹の後をついて行くと心に決めました。地上30mほどになって、温かい上昇気流がどこからともなく吹きあげて、鷹もロナルドさんも助かりました。

 行き詰っても神に信頼しましょう。人間の絶望地点こそが、神の上昇気流の始まるポイントです。私たちの「仕切りの岩」はすぐそこにあるのです。神に栄光あれ。

 →あなたの番です
  □危険な時、困った時、神に道を尋ねよう
  □神の御名で励ます友になろう
  □プロテクトしてくれる神に信頼しよう