詩篇39篇  私の齢


 今日までのあなたの人生を本にして出版するなら、どんなタイトルを付けますか。
 『恵みの足跡』、『感謝!』、『新しくされた私』、『希望をもらって』という明るいタイトルを付ける人がいます。もう一方で、『報われなかった日々』、『曲がりくねった道』、『辛抱』、『踏みつけられて』、『滑落事故』という感じの人もいるかもしれません。
 ダビデは詩篇39篇で、人生の暗い面を直視しました。

1、苦しみ多し

 私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。私の心は私のうちで熱くなり、私がうめく間に、火は燃え上がった。そこで私は自分の舌で、こう言った。(1~3節)

 私たちの人生、私たちの道は何によって方向づけられるのでしょう。それは、口です。それでダビデは黙ることにしました。悪者の前で本音を言ってしまうと自分自身が罪を犯すと予測できたので、悪者に対する怒りのマグマを心の底に押し込み黙ることにしました。「それで私の痛みは激しくなった。」心は煮えくり返り、爆発寸前の火山になってしまいました。
 上司の悪事を暴露したいが、言えば自分が解雇されるかもしれない。人生の苦しみはこんな所に表れます。あなたの人生、辛いですか。


2、むなしい

主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。セラ まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。(4~6節)

 「私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。」ダビデは人生を俯瞰しようとしました。自分の人生全体が見通せれば、自分の齢の終着点が分かれば、どうふるまうべきか覚悟ができます。でも、私たち人間は、100歳まで生きるのか、明日事故や脳卒中で死ぬのかは誰も分からないのです。

分かることは私達の人生が「手幅」ほどのわずかな年月だということです。ごくわずかな人以外、すべての人は歴史に名前を残すことなく死んでいきます。一生懸命働いて蓄えても、積み上げても、それらはいつか人手に渡ります。
心血を注いで一代で財を成した人が、我がまま息子に社長職を譲って死んでいくのは辛い事だと思います。あなたは、人生のむなしさを感じていますか。


3、罪多い日々

私のすべてのそむきの罪から私を助け出してください。私を愚か者のそしりとしないでください。私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです。どうか、あなたのむちを私から取り除いてください。あなたの手に打たれて、私は衰え果てました。あなたは、不義を責めて人を懲らしめ、その人の望むものを、しみが食うように、なくしてしまわれます。まことに、人はみな、むなしいものです。セラ (8~11節)

世間の矛盾に苦しめられる日々も人生ですが、自分自身の罪に苦しみことも人生です。罪を犯せば、神から責められて罪意識がうずきます。罪をまけば、罪の刈り取りが待っています。
「私のすべてのそむきの罪から私を助け出してください。」と祈るのは自然のことです。神だけが罪の解決者だからです。


4、旅人

私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。私を見つめないでください。私が去って、いなくなる前に、私がほがらかになれるように。(12~13節)

ダビデは、自分が旅人のように安定感を欠いた立場にいることに気がつきました。外国に身を寄せた寄留者のように心細くなったのです。
そこでダビデは神に祈りました。神がダビデの心を晴れやかにしてくれると信じました。


 このようにダビデは詩篇39篇で人生についての思索を深めました。悪者の前で黙しながら人生の矛盾に苦しみました。自分の齢が見極められぬまま、人生のむなしさを実感しました。罪多き自分を直視しました。孤独な旅人である自分を見据えました。こんなダビデに希望はなかったのでしょうか。いいえ。あります。

主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。(7節)

この7節は39篇で鍵になる言葉です。社会にも自分にも希望を見出すことはできませんが、神には希望があるのです。不条理な世界で苦しんでも、はかない命であっても、罪を犯してしまう自分であっても、神は私を見捨てません。神は、私たちの罪を赦し、私たちから決して離れません。どんな人生でも、どんな社会でも、どんな未来でも、どんな立場であっても、神は私たちに希望を与えてくれる存在なのです。
私たちは、神を待ち望みましょう。私たちの望みは、神ご自身にあるのです。有限で、空しく、汚れて、一時的な私たちも、永遠の神とつながるなら一つ一つの事柄が永遠に価値あることに変わります。神への希望こそ、最も価値ある希望です。

→あなたの番です
 □私の人生全体を大きな目で俯瞰してみよう
 □どんな時にも、望みを主に置きましょう