詩篇38篇 責めないで


 罪を犯した後の苦悩が描かれているのが38篇です。

1、突き刺さった矢

主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。
あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。
あなたの矢が私の中に突き刺さり、あなたの手が私の上に激しく下って来ました。
あなたの憤りのため、私の肉には完全なところがなく、
私の罪のため私の骨には健全なところがありません。
私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、
私には重すぎるからです。(1~4節)

 ダビデは、罪を犯し、罪意識に押し潰されました。
 罪意識とは何でしょう。あなたは間違った事をしたと教えるために、神が放った矢です。その矢は容易に抜けません。やがてダビデは健康を害し(3節)、大きな重荷(4節)に押し潰されそうになります。
 動物は、他の動物から獲物を奪っても罪意識に苦しめられることはありません。人間は違います。人間の罪意識は、神がおられることの一つの印ではないかと私は考えています。神は人間に罪意識というセンサーを植え付けられました。誰にも知られていない罪であっても、罪は私たちの心を苦しめます。

 一般的に中学生や高校生は自分が自己中心だという事に気づかずに生きています。ある女子高校が礼拝に通い始めて、一番はっきり気づいたことは、自分に罪があるということでした。
 神は、今日、弓矢を放って、あなたの心を刺しているかもしれません。



2、うなだれて

私の傷は、悪臭を放ち、ただれました。それは私の愚かしさのためです。
私はかがみ、深くうなだれ、一日中、嘆いて歩いています。
私の腰はやけどでおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。
私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています。(5~6節)

 罪を犯すと周囲の人を傷つけますが、同時に自分自身にも傷が残ります。(5節)。適切な処置がなされない傷は、やがて化膿して悪臭を放ちます。傷と化膿した悪臭が、後悔の念であり、幻滅、うなだれ、嘆きとなります。

 今日、あなたの罪の傷は適切に処理されていますか。



3、愛する者の離反

主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、
私の嘆きはあなたから隠されていません。
私の心はわななきにわななき、私の力は私を見捨て、
目の光さえも、私にはなくなりました。
私の愛する者や私の友も、私のえやみを避けて立ち、
私の近親の者も遠く離れて立っています。
私のいのちを求める者はわなを仕掛け、私を痛めつけようとする者は私の破滅を告げ、
一日中、欺きを語っています。(9~12節)

 あなたの隠れた罪が周囲の人に明らかになると、別な問題になります。他人はあなたをさげすみ、理解してくれるはずの身近な人(11節)まで離れて行きます。つまり、罪の問題は孤独の悩みを引き連れてきます。

 サッカー女子ワールドカップで日本はイギリスと戦い、2対1で決勝に進みました。日本選手がゴール前に絶妙なパスを出し、ディフェンダーのローラ・バセットが必死にクリアして蹴ったボールが自分が守るべきゴールに入ってしまいました。いわゆる、Owen Goalとなりそれが決勝点になりました。試合後、彼女は泣き崩れて自分のミスを嘆きました。
 もちろんローラの場合は罪の問題ではなく、試合上のミスにすぎません。彼女のツィッターには、励ましの言葉がたくさん並びましたが、イギリスに帰ってくるな、という感情的な言葉も多数ありました。あなたが、ローラだったらどうでしょう。

 ダビデは、自分が犯した罪ゆえに、孤立し、親しい者からの保護や応援さえ失いました。あなたは罪ゆえに孤独になっていませんか。



4、神を待ち望む

しかし私には聞こえません。私は耳しいのよう。口を開かないおしのよう。
まことに私は、耳が聞こえず、口で言い争わない人のようです。
それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。
わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。
私は申しました。「私の足がよろけるとき、彼らが私のことで喜ばず、
私に対して高ぶらないようにしてください。」(13~16節)

 ダビデは、人の評価を聞かないことにし、無駄な弁解も止め、神だけを待ち望むことにしました。

 私の罪を鋭い矢で警告したのが神ですが、私の罪を完全にゆるして癒してくれるのも神なのです。人々は私の罪のほんの一部を知っただけで去って行きますが、神は私の罪の全貌を知っていても見捨てません。
 罪を犯した時は、神を待ち望みましょう。



5、離れないで下さい

私はつまずき倒れそうであり、私の痛みはいつも私の前にあります。
私は自分の咎を言い表わし、私の罪で私は不安になっています。
しかし私の敵は、活気に満ちて、強く、私を憎む偽り者が多くいます。
また、善にかえて悪を報いる者どもは、
私が善を追い求めるからといって、私をなじっています。
私を見捨てないでください。主よ。わが神よ。私から遠く離れないでください。
急いで私を助けてください。主よ、私の救いよ。(17~22節)

 まことの神がおられるので、罪の赦しと心の平安は必ず得られます。ただし、罪の赦しのプロセスは38篇のような心の葛藤は避けられません。
 
 「私を見捨てないでください。主よ。わが神よ。私から遠く離れないでください。」(21節)とダビデは祈りました。神はダビデから本当に遠くに離れてしまったのでしょうか。罪と罪意識の暗闇がダビデの目を曇らせ、近くにおられる神が見えなくなったのだと私は思います。

 どんな罪であっても、神は赦して下さいます。罪の苦悩と孤独がどんなに深くても、神は、あなたをご自分の子のように扱い、あなたのそばを離れません。

 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(へブル13:5)


 →あなたの番です

  □神は罪を指摘される方です
  □罪を犯したら、神を待ち望みましょう
  □神は決して見捨てない方です