マタイ7:1~6 さばくな


 主イエスの教えは単純明快です。さばくな!

1、さばかれないように

さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。(マタイ7:1~2)

 さばくな、とはどんな意味でしょう。
悪事を見ても、悪いことをされても、抵抗するなという意味ですか。違います。主イエスは、パリサイ人に面と向かって厳しい言葉で彼らの不正や悪を糾弾しました。また、主イエスは、神殿の物売りたちに実力行使をして追い出しました。悪に負けてはいけません。悪にはきちんと抗議し、訂正を求めましょう。しかし、さばくことは止めましょう。

泥棒に対して「あなたは私のお金を盗んだ」と言うのは正しいことです。あの人は万引きしそうな目をしてると噂するのは、さばくことです。さばくとは、主観的で、一方的で、根拠のない悪口のことです。

福沢諭吉は『学問のすす』第13篇で、怨望について書いています。怨望とは、嫉妬のことで、人間の不徳の中で最も大きな害が嫉妬だと述べています。

あなたの職場や学校やあなたの身近に、若い人、美しい人、強い人、賢い人、努力する人、英語の上手な人がやって来たらどうでしょう。平静でいられますか。あなたは、もやもやした気分になります。それは嫉妬です。そんな状態の時、私たちは、あら探しを始めます。皮肉を言います。意地悪します。不幸を願います。ある場合は、その人をつぶしたり、左遷させます。人間の心は陰険です。

主イエスは、さばくなと言われました。その理由は何でしょう。
あなたが同じ基準でさばかれるからです。あなたが誰かをさばけば痛快です。でも相手は怒ります。相手はもっと厳しい目であなたをさばきます。それによって争いが始まり、人間関係がこじれ、悩みのドツボに入ります。

 私たちがコントロールすべきなのは、私という人間だけです。
 私は、他者の心をコントロールしてはいけません。また、誰かが私の心をコントロールすることも望みません。どちらもバウンダリーの侵害になります。

相手の言動であなたが困ったのなら、本人に直接抗議し、行動を改めてもらいましょう。けれども根拠のない悪口を言いたいなら、自分の口を閉ざしましょう。
それが、あなたのためだと主イエスは考えます。「あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」まさに、口は災いのもとです。口を制御し、さばく思考パターンを止めましょう。

あなたは、今、誰をさばいていますか。さばくと、本人が不自由になります。憎む相手がそこにいなくても、その人の事を考えるだけで苦しくなり、怒るからです。

経済学の権威、ハーバード大学のマイケル・ポーター博士はこう言いました。「戦略とは、何をやらないかを決めることだ。」
私たちの人生の経営学にも同じことが言えます。さばかないと決める。主観的に、噂に従って、あるいは単なる好き嫌いで、人をさばかないと決めるのです。嫉妬心という石ころを人にぶつけません。嫉妬心という石ころを握りしめず、捨ててしまいましょう。

さばいて、人間関係をこじらせれば神の国建設は停滞します。柔和な者、あわれみ深い者、平和を作る者になって、キングダムビルダーになりましょう。


2、目に梁

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。(マタイ7:3~5)

「偽善者たちのよう」(マタイ6:2、5、16)であってはならない、と主イエスは何度も語ってこられましたが、偽善者とは律法学者たちを指していました。今回も「偽善者たち」と言っておられます。自分の目の中に大きな梁があることに気づかない律法学者をまず念頭に置いているのでしょう。自分の目に大きな木材が入っているなら、他人の目にある小さなチリを見つけることはできないはずです。

私やあなたの目にも、大きな梁が入っているかもしれません。自分だけは正しく、相手は間違っていると思い込んでいませんか。謙虚に、神の前で、自分の姿を認めましょう。

私たちがさばく相手は敵ではなく、兄弟です。兄弟とは、一番近しい関係です。身内であり、仲間です。一番幸せになってほしい人です。

映画評論家の淀川長治さんが晩年に入院しました。看護師さんが忙しさでゆとりがない様子を見て、便せんにこんな言葉を書いてドアに貼ったそうです。
  「このドアを開ける人は笑って開けて下さい。」
それからは、淀川さんの部屋だけでなく、どの部屋に入る時も笑って入る看護師さんが増えたそうです。
人をさばくのは止めて、こういう提案をするのはどうでしょう。さばくのを止めて自分から挨拶したり笑いかけることも可能です。


3、豚に真珠
 聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。(マタイ7:6)

豚に真珠ということわざは、主イエスの言葉にルーツがありました。
「犬」や「豚」と言っていますが、それは動物のことではなく、人間のことです。当時、犬や豚は嫌われていた動物でした。聖なるもの、あるいは、真珠のように価値のあるものを与えても、その宝を踏みにじる人がいます。聖なるものや真珠を踏みにじるだけでなく、それを与えようとした私たちに危害を与える人がいます。そういう場合は最初から、相手にするなと主イエスは言われます。主イエスは合理的です。

福音や聖書や神の話を丁重に説明しても、馬鹿にする人、まったく話が通じない人、頑迷な人物、逆に私たちを攻撃してくる人がいます。たとえば宗教過激派テロリストのところに私が乗り込んで福音を伝えに行ったらどうなるでしょう。想像すれば分かります。

主イエスはバウンダリーをはっきり持っています。誰にでも好かれる必要はありません。スパッと割り切ればよいのです。無駄なエネルギーはいりません。

 →あなたの番です
  □さばくのを止めよう
  □そうすれば、幸せになる
  □そうすれば、神の国建設に集中できる