マタイ7:15~23  警告

 山上の垂訓も、いよいよ最後の部分に入ってきました。13~23節は警告、次回取り上げる24~29節は結論になります。
 飛行機に乗る時はパスポートを忘れるなとか、パリではスリに気をつけろ、などが警告です。警告とは、最重要事項の点検です。これを怠るとすべてが無駄になります。


1、狭い門から入れ

世の中に二つの門があると、主イエス語られました。広い門と狭い門です。

狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタイ7:13~14)

旧約聖書の時代も、イエスさまの時代も、大きな町には頑丈な城壁があり、立派な正門から人々が中に入るので門の付近はにぎやかでした。旅の間は山賊に襲われる心配もあるし、道に迷うこともありますが、門を通って町に入れば安心です。あえて、小さな門を探す人はいません。ですから、「狭い門から入りなさい」という主イエスの教えを聞いて、人々は奇異に感じだことでしょう。

広い門は、大きな門で、広い道が続いていて、多くの人がその門を通っています。見栄えが良く、人気があります。けれども、その門から入るなら滅びます。

もう一つの門は、小さな門であり、道は狭く、その門を見つけることが難しく、少数の人しか入れません。見栄えが悪く、人気がない門です。けれども、狭い門から入るなら「いのち」を得ます。

見かけが立派で人気のある方に行きたいのが人情です。でもそれは滅びの門です。見掛けにとらわれず、落ち着いて、見極めて、納得して、狭い門を選びましょう。

これが、山上の垂訓を無駄にしないための主イエスの警告なのです。あなたの前に、大きな門と小さな門が見えますか。狭い門を選んで下さい。



2、偽預言者に気をつけよ

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。(マタイ7:15~20)

次の警告は、偽預言者に気をつけよ、です。

偽預言者は、羊のようなイメージで、柔和で良い人を装って近づいてきます。けれども、その本質は貪欲な狼です。つまり、人々を餌食にし、苦しめ、支配するのです。そのような偽預言者を見抜きなさい。偽預言者について行くな。偽預言者を拒絶せよ。これも主イエスの警告です。また、あなた自身が偽預言者化するなという警告でもあります。

主イエスが現代におられたらこう言うでしょう。偽牧師、偽役員、偽伝道者、偽リーダー、偽クリスチャンに気をつけよと。

わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7:21~23)

文脈からいうなら、21~23節は偽預言者に対する神の裁きと捉えることができます。神が偽預言者を拒絶し、天の御国に入れないと宣言されると、偽預言者たちは自分達の正当性を述べるだろと主イエスは言われました。

偽預言者が、悪霊を追い出し、奇蹟を行ったと主張し、天の御国にふさわしいと自負しても、神には通じません。こうした自負こそ、霊的傲慢の印です。

<私は普通の信者より信仰面ではるかに優れていると考える>それが霊的傲慢です。別の言い方をすれば霊的盲目です。霊的傲慢が偽預言者を作ります。何かを教えたり指導したりすると、人々が喜び、人々からの尊敬が返ってきます。そのようにして、偽預言者は尊敬を糧にして肥大化し、人々を洗脳し、人々に金を集めさせ、信者の数を増やし、権力を私物化し、最終的には自分お神とし、自分の王国を作ります。カルト宗教はすべて同じ構造です。

このように危険極まりない偽預言者なので、気をつけること、「実」で判断し見極めることを警告しました。

また、あなた自身が偽預言者にならないようにしましょう。影響力のある人、声の大きい人、リーダーに推奨される人、聖書知識の多い人、信仰歴の長い人、「長」とか「先生」と呼ばれる人、気をつけましょう。
霊的傲慢にならない秘訣は、自分が罪人であることを忘れないことです。また、謙遜でいることです。主イエスが語られた「パリサイ人と取税人」のたとえの取税人の祈りを心に留めていてください。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」(ルカ18:13)

主イエスは、心の貧しい人、悲しむ者、柔和な者、義に飢えかわく者、あわれみ深い者、心のきよい人、平和を作る人、義のために迫害されている者が幸いだと言われました。そして、宗教カルトの教祖になる誘惑をすべて退け、主イエスは徹底して謙虚に生き、十字架で命をささげるという「狭い門」を選ばれました。

あなたも主イエスの道をたどり、狭い門を選び、謙虚に生きましょう。
 →あなたの番です
 □狭い門から入りましょう
 □偽預言者に気をつけましょう
 □霊的傲慢にならず、謙虚に生きましょう