マタイ7:24~29 岩の上に家を建てる

 人生の目的は何でしょう。「山上の垂訓」全体から結論を出せば、人は神の国を作るために生きている、となります。今日は、山上の垂訓の結論部分を読みます。

1、岩の上の家

 パレスチナの大工は、木材だけでなく、石を材料にして家を作りました。主イエスのお父さんは大工で、主イエスもヨセフの仕事を引き継いだので、どんな場所に家を建てたら良いかを主イエスは良く知っていました。家の良し悪しは、家を建てる場所で決まります。

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。(マタイ7:24~25)

 主イエスのことばを聞いて行う人は、岩の上に家を建てた賢い人です。第一に雨、第二に洪水、第三に風がやって来ても、岩の上の家はびくともしません。

 パレスチナの気候は南カリフォルニアとそっくり同じで、夏には雨が降らず、冬に雨が降ります。時折、激しい雨が集中的に降ることがあり、岩地に降った雨は地面に染み込まず谷に集まり、鉄砲水のように流れ下り、洪水になることもあります。岩の上の家はそんんな時でもしっかり立って揺るぎません。

 家を建てるとき、安全で快適な場所を選びます。そこに住む家族が幸せになれるようにと細心の注意を払って場所を決めます。人生も同じことです。あなたが選んだ生き方が、その後の人生を方向付けます。
雨や洪水や風は、人生の試練を象徴しています。岩の上に家を建てても試練は襲ってきますが、家は壊れません。そんな人生を誰もが望んでいます。

なぜ岩の上の家はなぜ倒れないのでしょう。土台がイエスさまだからです。
主イエスの言葉を実行するということは、主イエスを信頼しているということです。主イエスの言われたことが本当だと信じる時に主イエスの言葉を実行します。主イエスを信じ、主イエスと共に歩み、主イエスの言われたことを行う人は幸いな人生を送ることができます。

主イエスを信じ、その言葉を実行しましょう。あなたの家は揺らぎません。


2、砂の上の家

 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイ7:26~27)

 主イエスのことばを聞いても、それを行わない人は、砂の上に家を建てた愚かな人に似ています。第一に雨、第二に洪水、第三に風、という自然災害は前者と同じです。けれども、砂の上に建てた家なので、もろくも倒れてしまいました。しかも、それはひどい倒れ方です。

 主イエスの助言は、たいしたことはないし、警告も取るに足らないと思えるとき、主イエスの言われたことを実行しません。主イエスの言われたことを聞いても行わない人は、主イエスを無視し、主イエスを信頼していないのです。

 普通、二つとか、三つの例を出して何かを説明する場合は、最後に解決とか成功の例を入れるものです。主イエスは、その逆の順番にして、砂の上の家が壊れる場面で話を終えました。しかも、ひどい倒れ方だったと強調されました。それは、強い警告なのです。

 主イエスは、あなたを愛しています。倒れるな、壊れるな、人生を終わりにするなと叫んでいるのです。

砂の上に家を建てるのは、安易な生き方で、嘘と見せかけでその場しのぎをする生き方です。悪を正当化して生きたら、あなたは洪水と共に滅びます。「ひどい倒れ方」になってしまいます。

主イエスは山上の垂訓の中でこのように言われました。心の貧しい者は幸いです。あわれみ深い者は幸いです。実際に人を殺さなくても心で殺すことも、神の前では同じ。偽善者になるな。神を父としてあがめ、罪を悔い、罪をゆるし、人をさばくな。自分にしてほしいことを人にしなさい。求めなさい。明日の心配は無用です。神の国とその義を第一に求めるキングダムビルダーになりなさい、そうすれば必要なものは全部与えられる。日ごとの糧は天の父が下さる。天に宝を積みなさい。狭い門から入りなさい。

心の純真さや正義感を保ち、神に祈り、優しく接し、希望と信頼を持って生きる。そうすると、あなたは神の国を作ることになります。

ある女性が、携帯用水筒に熱々のお茶を入れてエアポートに来ました。飛行機に乗る前に荷物検査官に通告されました、液体は持ち込めない、水筒ごと破棄すると。大切な水筒だったので、全部飲めば問題ないですねと言って、女性はお茶を飲みました。熱いのでわずかしか飲めません。すると、話を聞いていた後ろの青年がその水筒を手に取ってお茶を飲みました。その後ろの人も飲みました。水筒は次々と渡っていって、6人面の女性が飲み干して空にしました。歓声を拍手がわきました。外国のエアポートで受けた親切にその女性は胸を熱くし、私もいつか受けた恩に報いようと心に決めたそうです。

 「あなたの番です」あなたは、山上の垂訓のどの教えを実行しますか。


3、権威ある者のよう

イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。(マタイ7:28~29)

 パリサイ人、律法学者は、庶民を見下して権威的に律法を教えていました。主イエスの教えを聞いた人々は、主イエスが律法学者のように教えないことにひどく驚きました。主イエスは、まったく違う。権威的に教えるのではなく、まるで「権威ある者」のように教えている。本当の権威を持つ方、つまり神が人となって語っているかのように感じたのです。主イエスの奇蹟を見なくても、人々は、主イエスが神であることを感じ始めていました。

 人となられた神、主イエスは、あなたを愛しているので強い警告をしました。滅びるな、倒れるな、わたしに信頼しなさい、わたしの言葉を実行しなさいと語りました。


 →あなたの番です
  □岩の上の家は揺るがず、砂の上の家は倒れた □主イエスを信頼し、主イエスの言葉を実行しよう
  □神の国を建設するために生まれた