マタイ9:14~17 新しい皮袋

1、断食すべきだ

するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」(マタイ9:14)

 バプテスマのヨハネの弟子たちがイエスのもとにやって来て、十二弟子たちを批判しました。主イエスに対する批判のつもりで弟子たちの生き方を非難したのです。

 宗教家ならば断食するのは常識だ。なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのか。バプテスマのヨハネよりもイエスのほうが有名になったので、バプテスマのヨハネの弟子たちが嫉妬心にかられて抗議したのでしょう。本来は敵対関係にあるパリサイ人を自分の仲間とみなしているのは驚きです。敵の敵は仲間になるのです。

 当時パリサイ人たちは月曜と木曜に断食していました。(ルカ18:12)自分たちが高い宗教性を持っていることをひけらかしていました。主イエスは山上の垂訓で、断食の偽善性を批判したのは(マタイ6:16~18)、まさに、こういう種類の断食の事でした。



2、花婿と花婿の友人

イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。その時には断食します。(マタイ9:15)

なぜ断食しないのかという質問への答えがこれでした。主イエスは花婿であり、十二弟子たちは花婿の友人に当たります。だから結婚式で断食するなどありえないのです。
ただし、花婿が死んだときには、断食すると述べました。これは、十字架の死を暗示しています。

実は、主イエスの出現によりバプテスマのヨハネの人気が陰り、バプテスマのヨハネの弟子たちが心配している様子がヨハネ3章に記録されています。主イエスを花婿にたとえ、自分を花婿の友人の立場に置いたのはバプテスマのヨハネでした。バプテスマの弟子たちに、彼らの先生の言葉を思い出させているようです。

「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3:29~30)

 私たちが親友の結婚式に出席し、親友の横に立っている場面を想像して下さい。花婿の喜びは友人の喜びになります。私たちの最も大切な友人であるイエスさまの結婚式に招かれて、私たちが花婿の喜ぶ姿を自分のことのように喜ぶ。これが、主イエスを信じた人の心の底に流れている喜びです。



3、新しい皮袋

だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」(マタイ9:16~17)

 16節と17節の意味は同じです。繰り返して強調しています。古い洋服が裂けた時、新しい布でつぎあてをすると、新しい布が強いので引き伸ばされた瞬間に古い生地が裂けてしまいます。
同じように、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたら、発酵して膨張するので古い皮袋はその圧力に耐えられなくなり破裂します。

イエスさまを信じて変えられた心は、新しい布のようなもので、力があります。また、イエスさまを信じた私たちの心は、新しいぶどう酒のようで、新鮮で、ふくらむ力を持っています。

ですから、律法的な生き方、伝統や習慣や世間に合わせる生き方は似合いません。外見だけ飾る空しい生き方は無用です。否定的で、後ろ向きの口癖も過去のものです。

イエスさまを信じた人は、内面が変わり、親友の結婚式のような喜びが生まれ、最終的には、実際の生き方が変わります。新しいぶどう酒を入れるにふさわしい新しい皮袋が身についていきます。

「新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」

休暇で私たち夫婦は先週ドイツを旅してきました。ルターが1517年10月31日、ヴィッテンベルクの教会に95か条の質問状を掲げた教会を訪れ、深い感動を受けました。ルターはその町の大学で、29歳から34歳まで、約5年間、詩篇やローマ書などを講義しました。その中で、人間の努力や苦行によって神の義を獲得することはできず、主イエスの十字架によって与えられる神の義が人を救うことを聖書から確信しました。聖書に反した行為、特に、当時教会で行われていた免罪符などに反対しました。
その結果、カトリック教会から破門され、命の危険にさらされ、1521年、ヴァルトブルク城にかくまわれ、10週間で新約聖書をドイツ語に翻訳しました。(その部屋を見た時は強い感動を受けました)聖書と言えば当時はラテン語聖書だけしか無く、民衆は読めませんでした。また、修道士は結婚を禁止されていましたがルターは修道女と結婚、3男3女をもうけ、温かい家庭を作りました。また、礼拝ではラテン語の賛美歌を聴くだけの聴衆でしたが、ルターみずから歌詞を作り、リュートも演奏し、作曲もし、民衆が歌える讃美歌を礼拝に取り入れました。
ルターは、新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れた人でした。

主イエスを信じ、主イエスにもらった新しい命が私たちの内で始まったのですから、私たちの外側、生活スタイルも自然と変わっていきます。
あなたの新しい皮袋とは何でしょう。新しく始めたい生活スタイルは何でしょう。正直さ、温かさ、平和、くじけない心、赦す姿勢など、あなたの新し皮袋があるはずです。

  →あなたの番です
   □親友の結婚式に出席している喜びが心にある
□内面の変化が外面の変化を生む
□新しい生活スタイルを始めてみる