高い山で マルコ9:1~8

1、高い山で起きた3つのこと

主イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登られました。 近くの山といえば標高2814メートルのヘルモン山と考えるのが普通ですね。 そこで起きた事は以下の3つです。

1)主イエスが栄光の姿に変わった
2)エリヤとモーセが現れた
3)天から声がした

「それから6日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。」(2~3節)
マタイの福音書17:2では「御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった」とその時の様子を説明している。主イエスが本来持っておられた神としての姿が3人の弟子の前で明らかになりました。神が造られ太陽ですら3秒と凝視できないのが人間です。ですから、神の栄光を言葉で説明するのは不可能といえます。

「また、エリヤがモーセとともに現われ、彼らはイエスと語りあっていた。」(4節)
エリヤは旧約時代を代表する預言者。一方のモーセはイスラエルの民をエジプトから導き出し、神の律法を人々に教えた旧約時代最高の指導者・教師。つまりこの二人は、旧約聖書を代表する人物とみてよい。その二人が、主イエスと語り合うという出来事は、主イエスこそ旧約聖書が預言してきたまことの救い主であるという証明になります。ルカ9:31によれば、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期について話していた」という。
 
 「そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、『これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。』という声がした。」 (7節)
主イエスが公生涯の初めにバプテスマを受けましたが、その際天から聞こえた声と酷似しています。明らかにこれは人間の声ではなく、父なる神の声でした。


2、弟子たちの反応

ペテロたちの反応は2つあります。第1は驚き。第2は恐れです。ペトロはあまりに突然な主の栄光とエリヤらの出現に驚愕し、自分が言っていることすら冷静に把握できませんでした。いわば顕現記念チャペルを建立しますと言ってしまったのです。ペテロたちは、恐怖の念にとらわれました。神の栄光は、日常生活に前ぶれなくやってきます。

日本にいた頃の話ですが、大きな茶封筒が届いたことがありました。どうせ何かの宣伝かダイレクトメールだろうとしばらく開けもしませんでした。数日後、開封すると「おめでとうございます。2名様ハワイ旅行当選です」とあり、こういうタイプのキャッチセールスはよくあるんだ、と思って無視しました。家内が、まさかと思って、発送元のホームセンターに行ってみると、家内の名前で当選発表がしてあり、全国30万人の中から選ばれたということが分かり驚きました。家内は娘を連れて、本当にハワイ旅行を無料で満喫しました。これは小さな出来事で、たわいもないことですが、その後すぐハワイで牧師になるように導かれた事を考えると、神の導きの伏線があったこと驚きました。
神の栄光は、日常生活に突然流れ込む神の力と臨在の強烈な印です。


3、神の栄光がもたらすもの

権力者に捨てられ殺されると6日ほど前、主イエスは弟子たちに予告されました。また、主イエスについて来たい者は自分を捨てる必要があると厳しい姿勢を教えられました。それで、十二弟子は恐れと不安を持ったはずです。そんな時に天から父なる神の声がかかりました。

 「そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、『これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。』という声がした。」 (7節)

主イエスの栄光の姿を目撃し、エリヤとモーセと出会った3人の弟子は、主イエスこそまことの神であるという確証をもらい、たとえ厳しくても主イエスに従う道は正しい道であると確信を強めたはずです。ペテロは、生涯この日のことを忘れず、次のように説明しました。

「この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。『これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。』私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。」(第2ペテロ1:16~18)

あなたの生活に、主イエスの栄光がすでに注がれていませんか。もう一度、信仰の目で見つめ直しましょう。今、暗黒の中にいるなら、主イエスの栄光が光輝くように祈りもとめましょう。

一人の女性が就職試験を受けました。アメリカでは、<落ちた>という知らせは通常来ません。1ヶ月間何の便りもないので、落ちた事実を認め、どこが足らなかったのか聞こうと電話をかけようとした瞬間、電話が鳴りました。取ってみると、その会社からで、「おめでとう、採用されました」という内容でした。彼女はクリスチャンでした。話し終えてから「やったー」と叫んだのは当然ですが、まるで主イエスの栄光に出会ったような瞬間でした。

主イエスは生きておられます。今も、あなたにご自身を知らせたいと願っておられます。あなたの今週の歩みの中に、主イエスの栄光が届きますように。素晴らしい驚きが来ますように。