旅立ち 創世記12:1~4

 私たちの毎日は繰り返しに見えますが、同じ日は一日としてありません。そういう意味から、人生は旅にたとえることができます。
 今日は、アブラハムの旅立ちから3つのことを学んでみましょう。

1、アブラハムの旅立ちは、離れること

 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、」
                     (創世記12:1)

 家族のぬくもり、安心できる場所を離れることは辛いことです。子供たちが遠くの大学で生活を始めた時など、理由がなくても実家に電話することがあります。ところが数ヶ月すると、親が電話しても、今は忙しいからあとでとそっけない返事になり。4年たつと、立派に成長したことが分かります。

 同じように、私たちも、家族から離れ、友人から離れ、住み慣れたコミュニティーから離れると、神に信頼するようになります。今までになく、祈るようになります。そうです、「離れる」ことは、神に近づくことになるのです。


2、アブラハムの旅立ちは、一歩踏み出すこと

 アブラハムは、ウルという町から最初旅立ちました。ユーフラテス川の下流にあった当時の世界で最大の人口を誇った町だと歴史家はいいます。
 アブラハムはカナンを目指して進みましたが、途中の町カランで住み着いてしまいます。そこで父テラが亡くなりました。その後、神が12:1からの言葉をアブラハム語られました。

 「わたしが示す地へ行きなさい。」
        (創世記12:1)

 神は、道を示してくださる方です。大切なことは、道を聞いて、それに従うことです。
 信仰者には二つのタイプがあります。動かないタイプと動くタイプです。動かないタイプとは、ソファーに座ってテレビのリモコンだけを操作する人のようです。祈るけれども、答えだけを待っている。自分は、動かないのです。
 神が望んでいるのは、神のみこころを知って動く人です。動きだすときは勇気がいります。神を信頼しないと動けません。けれども、一旦動きだすと、神が生きておられる方だとダイナミックに理解できるようになります。

 私も大学3年のとき、今日の箇所の言葉を読んで、真剣に卒業後の進路を祈るようになりました。毎朝、また、夜寝る前に読んでいた聖書通読箇所で、使徒7:2~3とヘブル11:8を1ヶ月のうちに読みました。全部がアブラハムの旅立ちの箇所でした。それで、私は真剣に「あなたの示す道を教えてください」と祈りました。2ヶ月後、マルコ11章から、「主がお入用なのです」とのお言葉がとどめの言葉となり、自分を生涯主にささげ牧師になる道に踏み出しました。私も、アブラハムとまではいきませんが、将来を知らないまま主に従いました。 それで、本当に素晴らしい人生になりました。

 「どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」
               (ヘブル11:8)

 神は、あなたを新しい旅に招いています。それは、若い人だけの話でしょう、と言われそうですが、アブラハムが歩みだしたのは75歳の時でした。あなたも、新しい旅が始ままります。


3、アブラハムの旅立ちは、周囲の人々を祝福する

 「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
           (創世記12:3)

 神は大いなる祝福を約束されました。神の約束は、アブラハム個人の祝福、その子孫の祝福、アブラハムを通して祝福が世界に溢れるという約束でした。
 アブラハムが歩み出すなら、この祝福がいただけるのです。

 この約束はアブラハムだけのものでしょうか。私はそうは思いません。神に従うあなたの小さな一歩が、世界を変えるという約束です。これをあなたは信じますか。

 あなたは自分が弱いので、あるいは、自分に能力がない、人間的には何の可能性もない、と考えていますか。 当時のアブラハムは、それ以上に、人間的可能性はありませんでした。75歳でも子供がいなかったのです。子孫など皆無でした。
 あなたの可能性が限りなく小さいとしても、神はそれを何とも思われません。用いられやすい人を神は求めているのです。可能性は、神にあるのです。

 升崎外彦(1892~1975)の人生は、まさに一人の人物が主に従うことによって、周囲の人が祝福されるという実例の生涯です。詳しくは、『荒野に水は湧く』(田中芳三著)という本をお読みください。

 →さあ、あなたの番です

 ①信仰と勇気を持って、あなたの旅を始めよう。
 ②神についていくと、もう一度心に決めよう。
 ③あなたの示す地はどこですか、と祈ろう。
 ④幸せを求める人から、幸せを分ける人になろう。