私の痛みを用いてください 第1テモテ1:12~15

 過去に受けた傷が今も影響を残している人や、過去の傷が原因で悪習慣や依存的な行動に陥っている人がいます。そういう人がどうしたら立ち上がれるかということを話してきましたが、今日が8回シリーズの最終回です。今日の内容をまとめると以下のようになります。

 <自分の生き方と言葉を通して福音を伝えるために、神が私を用いてくださるよう、自分自身を神に明け渡します。>

 
1、2つの傷

 私たちは二つの傷を持っています。

 第1は、他の人から受けた傷です。パウロは過去に受けた肉体的な傷について語っています。

 「ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。」(第2コリント11:24~25)

 あなたも傷があるはずです。いじめられた。馬鹿にされた。無視された。実際に殴られた。憎まれた。さまざまな傷が残っています。

 第2は、人に与えた傷です。身近な人を裏切った。嘘をついた。だました。肉体を傷つけた。言葉で激しく打ちのめした。相手の苦しむ声を聞いてはじめて気づくことがあります。


2、「彼」の傷

 主イエスは、十字架で死なれた後によみがえり、弟子たちに姿を現されました。主イエスは傷のある方でなのです。私たちのために、あえて傷を負われた方です。


 「こう言ってイエスは、その手をわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ」(ヨハネ20:20)

 「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53:5)

 主イエスの温かい手が私たちを包んでくれますが、その手には釘の傷跡が残っています。主イエスの傷が私たちをいやします。


3、傷の意味

 痛みはつらいものですが、様々な意味を持っていることに気づきます。

1)神は、痛みを通じて私たちに語りかける。

 神にそむいたとき、罪を犯したとき、神はある種の傷みを用いて神ご自身に向き直るようにと警告しますが、痛みはその警告なのです。

2)痛みは、神に信頼することを私たちに教える。

 「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。(第2コリント1:8~9)

3)あなたの痛みは、他人に寄り添うためにある。

 星野富弘さんの「れんぎょう」という詩は味わいがありますね。
  「わたしは傷を持っている。
   でも、その傷のところから
   あなたのやさしさがしみこんでくる。」

 あなたが離婚を経験しているなら、離婚直後の人に寄り添うことができます。あなたがアルコール依存から立ち直ったなら、同じ悩みの人の力になれるでしょう。
 あなたの傷が他の人の痛みを和らげることができるのです。

4)痛みは、福音を伝えるときに用いられる

 伝道が難しいと思う人がいます。あなたの痛みから話し始めれば、人は真剣に聞いてくれます。あなたの傷が、福音を語る助けになってくれます。ペテロも自分の失敗をいつも語りました。パウロは、自分がどんなにひどい人間かを語り続けました。

 「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」(第1テモテ1:13)

 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(第1テモテ1:15)


 神はあなたの痛みを無駄にはしません。あなたの傷が誰かの役に立つのです。

→あなたの番です

①あなたの傷は何ですか
②あなたの傷を用いて、誰かに仕えましょう
③あなたの傷を用いて、主イエスの福音を伝えましょう