詩篇1篇 主の教えを喜びとし

 今日から詩篇を順番に見ていきましょう。

1、詩篇とは何か

 詩篇とは何でしょう。ひとことで言えば、人間の魂の叫びです。それは、人の本音であり、神への祈りです。

 聖書全体は神から人に下された啓示であり、いわば下に向けられたメッセージです。詩篇はその逆に、人から神への上向きの方向性を持っています。それで詩篇には、賛美、祈り、涙、ため息、疑い、のろい、訴えさえも含まれているのです。

 詩篇1篇は、詩篇全体の序論であり、同時に結論です。


2、悪者とは何か

 詩篇1篇は、人の生き方を白と黒とにあえて簡略化しています。あなたは、正しい人として生きるか、悪者として人生を終えるか、詩篇の読者に二者択一を迫る目的です。

 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。(1節)

 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。(4節)

 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。(6節)

 神との関係を絶ち、自分中心に生きる人を、詩篇1篇では「悪者」と呼んでいるようです。正しい者とは、神と共に歩く人を指すのでしょう。

 神からの愛、神からの励ましを受けることなく、神と共に歩くことがない人は、悪者のはかりごとに近寄ってしまいます。やがて、罪人の道に入ることが習慣になり、あざける者の座に落ち着いて動きがとれなくなることは理解できます。
 悪者の本質は、むなしく、籾殻のように空っぽで、最後には滅びが待っていると聖書は語ります。



3、幸せとは何か

 本当の幸せとは何でしょう。それは、神と共に生きることです。これが、詩篇1篇の言いたいことであり、詩篇全体の中心主題です。

 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(3節)

 神と共に生きる人は、水路のそばに植えられた木のようだと描写されています。イメージが残るほど鮮やかな描写です。

 嬉しいときは、歌いだします。
 悲しいときは、泣きます。
 切ないときは、うめき、助けを求めます。
 混乱したときは、抗議します。

 どんなに苦しくつらくても、神と共にあるなら、乗り越えられます。

 神と共にいる秘訣は、神の言葉を愛し、神の言葉を思い巡らし、神の言葉を口ずさむことです。

 朝に読んだ聖書の言葉を、まるで弁当を持って出かけるようにして心に蓄えて持っていきましょう。日曜の礼拝で読まれた聖句は、レストランでもらうボックスに入れるようにして、持ち帰りましょう。

→あなたの番です
 □礼拝の聖句を持ち帰ろう
 □朝読んだ聖書を「お弁当」にして持って出よう
 □神の言葉を思い巡らそう
 □いつでも、どこでも神に語りかけよう

 あなたも、しあわせをつかんでください。