詩篇5篇  朝明けの祈り

朝の祈り、それが詩篇5篇です。

朝、それはあなたの生き方を映し出す鏡です。
絶望という毛布をベッドから引きずって起き上がる人がいます。
起きぬけの音楽として、恨みや憎しみの再生ボタンを押す人もいます。
否定的で消極的な気分を朝食にする人もいます。

それでは、人生変わりません。


1、朝の祈り

私の言うことを耳に入れてください。
主よ。私のうめきを聞き取ってください。
私の叫びの声を心に留めてください。
私の王、私の神。私はあなたに祈っています。
主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。
朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。
(詩篇5:1~3)

この祈りは、真剣で、悲痛な叫びです。
朝、心を注ぎだして祈っています。

朝の祈り、それは、あなたの人生を変える力です。
朝の祈り、それは、あなたを変える秘訣です。
朝の祈り、それは、今日に備える心構えを与えてくれます。
朝の祈り、それ自体が、解決に踏み出す一歩です。

朝の新鮮な空気の中で最初に神と語り、一番大切なことを神に教えていただいき、一番伝えたい願いを神に祈りましょう。


2、神が見えてくる祈り


あなたは悪を喜ぶ神ではなく、
わざわいは、あなたとともに住まないからです。
誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。
あなたは不法を行なうすべての者を憎まれます。
あなたは偽りを言う者どもを滅ぼされます。
主は血を流す者と欺く者とを忌みきらわれます。
しかし、私は、豊かな恵みによって、あなたの家に行き、
あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。
(詩篇5:4~7)

朝、神に祈ると、心の朝霧が晴れてくる。
神が正しいお方であることが確認できる。
神は、悪と同居できる方ではない。悪者は神とは相容れない。
自分が神とどんな関係にいるかも見えてくる。
神の<ヘセド>によって、礼拝者として神に近づくことができていることに気づく。
ヘセドとはヘブル語で、旧約聖書の中心概念の一つ。愛とか恵みと訳される言葉だ。新改訳で「恵みによて、あなたの家に行き」と書かれているのがヘセドだ。


3、敵が見えてくる祈り

主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。
彼らの口には真実がなく、その心には破滅があるのです。彼らののどは、開いた墓で、彼らはその舌でへつらいを言うのです。
神よ。彼らを罪に定めてください。彼らがおのれのはかりごとで倒れますように。彼らのはなはだしいそむきのゆえに彼らを追い散らしてください。彼らはあなたに逆らうからです。
(詩篇5:8~10)

この部分で「助けてほしい」と神に願っている。
敵がどんなに陰険な人々かが分かる。言葉でダメージを人に与える者たちだ。パウロはローマ3:13でこの箇所を引用し、罪人の代名詞としている。
詩篇には、敵に対しての基本姿勢があるようだ。それは、攻めの姿勢ではなく、守りの姿勢。つまり、敵が掘った穴に敵が落ちるのを見るという姿勢だ。自分の義を掲げ、敵に攻めかかるとき、自分自身が罪を犯したり、加害者になることもある。「彼らがおのれのはかりごとで倒れますように。」という姿勢は、敵を冷静に見させてくれる。神の解決を落ち着いて信じることができる。


4、周囲が見えてくる祈り

こうして、あなたに身を避ける者がみな喜び、
とこしえまでも喜び歌いますように。
あなたが彼らをかばってくださり、
御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。
主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、
大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。
(詩篇5:11~12)

朝の祈りで心を注ぎだすと、自分だけでなく周囲に目が向かう。これは実に不思議なことだ。自分が苦しいはずなのに、回りの人のため祈るようになる。

『夫を支える30の祈り』という本がある。音楽家の夫と結婚し、苦しみの中で祈りの秘訣を学んだクリスチャン女性、ストーミー・オマーティアンが書いた良書だ。
妻がその本を持っているのを私は知っていた。昨日、ちらっとページをめくってみた。そこには、たくさん線が引いてあった。<妻は私のために祈ってくれた>という事実に改めて気づいた。ありがとう。こんなにも真剣に祈ってくれて。

祈りは、夫や妻、あるいは子供をコントロールする道具ではない。自分自身が神の手によって練り直される大切なプロセスだ。祈りこそ、自分自身が変えられる道だ。私たちの今日を変革し、私たちの将来を築くのが祈りだ。

あなたの朝を、真摯な祈りの時に変えてみよう。
明日の朝から、祈りの人となろう。

そのとき、あなたが神の盾に守られていることに心底気づくだろう。