創世記28:10~22 逃亡者

 家出したことありますか。結婚した後、黙って実家に戻ったことがありますか。学生時代に授業をさぼったことがありますか。たいていの人は、何らかの意味で逃げたことがあります。
 今日は、逃げる、ということを考えてみましょう。逃げることに何か意味があるのでしょうか。

1、逃げる

 兄エサウを出し抜き、父をだまして、祝福の祈りを奪い取ったはずのヤコブが、家にいられなくなった。実に皮肉なことです。

 「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう」(創世記27:41)

 ヤコブは母方の親戚の中から嫁を見つけるという名目で旅に出ました。(創世記28:1~2)

 私たちも、人生で<逃げる>経験をします。ビジネスで負債を抱え撤退する。会社を辞める。学校を変わる。転居する。

 ただし、誤解しないでください。私は逃げることを否定していません。人生では逃げなきゃいけない時があります。そういう時は躊躇しないで、思い切って逃げましょう。そこにいたら死んでしまう、と思ったら逃げましょう。人にどう思われてもいい。命あってのものだねです。命さえあれば、捲土重来の時が必ずきます。

 すべてを失い、逃げ出す経験は、何をもたらすでしょう。逃げることにより、本当の自分に向き合うことができます。逃げる経験から、神を見い出すことがあるのです。


2、神と出会う

 パレスチナの南端の町、ベエルシェバ。そこから南は荒野という場所にヤコブは家族と住んでいた。ヤコブの旅は、母方の親戚を訪ねて北上するルートを取った。男の足なら一月はかからない。はじめての一人旅でヤコブは心細かっただろう。日も暮れて野宿した。そこで夢を見た。

 「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。(創世記28:12)

 はしごは普通下から上にかけるもの。天から下に向けられたはしごは、神がヤコブと心をつなげたいという気持ちが表れています。

 その後、神がヤコブのかたわらに立たれ、言葉をかけてくださいます。

 「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13~15)

 自己本位で、人を押しのけるペテン師ヤコブ。祈った形跡のない、信仰があるのかないのか分からない男ヤコブ。そのヤコブの横に神は立たれました。そして、一方的に7つの約束をしてくださいました。
 ①この地を与える、②子孫を増やす、③世界の祝福の基とする、④共にいる、⑤守る、⑥連れ戻す、⑦決して捨てない。

 まるで、えこひいきです。そうです。他人から見て「えこひいき」と見えること。それが、神の恵みの本質です。

 ジャイ・ジャクマーというインドの大学生は、ヒマラヤ登山で滑落し、大怪我をしました。股関節を骨折しても、民家を求めて24時間歩き続け現地のおばさんに助けられます。その小柄なおばさんは大きな大学生を背負って町まで歩きました。100メートル歩くと休憩し、100メートル進むとまた休み、そのようにして3日間歩いて目的地まで連れ帰ったといいます。
 ジャイ・ジャクマーは後にアメリカに留学し大学教授になりますが、この時の恩を忘れず、助けてくれたおばさんのいる地方に学校を建築する運動を生涯続けました。

 ヤコブは私であり、あなたです。神はあなたにもえこひいきして下さっています。あなたも神に守られています。神はあなたと共にいます。神は決して捨てません。



3、変えられたヤコブ

 一夜で別人になる。そんなことがあり得るのでしょうか。

 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。
 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」
(創世記28:17~22)

 ヤコブの場合、まさに一夜で別人になりました。①神を信じる者、②礼拝する者、③ささげる者に変えられました。えこひいきと見えるほどの神の愛に心打たれたのでしょう。

 人の信仰というものは外からは見えません。ですが、その言動からにじみ出てきます。礼拝行為は、神などいないと考える人から見ると無意味このうえないものです。ですから、礼拝を大切にしているなら、その人の信仰が本物だと分かります。ヤコブは、誰も見ていないところで、神を礼拝しました。
 また、神への献金にもその信仰がはっきり表れます。ヤコブは、財産に執着するタイプでしたが、神にささげる姿勢に転換しました。このような変化は、新約時代のザアカイによく似ています。

 ヤコブは、家から離れ、神に近づきました。
逃げ出しましたが、神のもとに逃げ込むことができました。

 あなたも、神のもとに逃げ込もう。神はあなたを捨てません。

 あなたの番です→
  □必要なら、逃げる勇気を持ちましょう
  □失うなかで、本当に大切なものを見つけましょう
  □神をまごころから敬い、信頼しましょう