第2コリント2:1~11 涙の手紙

 人と人とが生きていると、誤解が生じたり、思いが届かないことがあります。
 パウロとて同じです。コリントの教会は問題の多い教会で、それを正そうとするパウロとコリントの人々との間で軋轢が生じていました。

1、コリントへの手紙は何通?

 パウロはコリントで伝道し(使徒18章)教会の基礎を築きました。パウロは活動の拠点をエペソに移した後もコリントの様子を心に留め、祈り、人を送り、手紙を書いて支え続けました。
 パウロがコリントの教会に宛てた手紙は、聖書の記述によると少なくとも4通あったようです。

 1)叱責の手紙(第1コリント5:9)
 2)コリント人への手紙第1
 3)涙の手紙(第2コリント2:4)
 4)コリント人への手紙第2

 手紙以外にも、テモテを遣わしたり(第1コリント16:10)、自分自身もコリントに赴いて(第2コリント2:1)、コリント人を励まし続けたことが分かります。


2、涙の手紙

 パウロが誤りを正そうとする。それを聞いて、コリントの人々がリアクションを起こす。少し改善される。まだ不十分なので、問題点を指摘する。うまくいかない。パウロの人間性や使徒としての信頼性に揺らぎが生じる。
 パウロは万策尽き、結果を主に委ねて、コリント人に対する思いのたけを手紙に書き記しました。それも、涙をもって。

 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。(第2コリント2:4)

 涙とは何でしょう。思いやりの結晶です。

 3週間前、右足の小指を椅子にいやというほどぶつけました。骨折したかもしれないと内心感じましたが医者には行きませんでした。1週間して、娘が昼休みを利用して職場から私のオフィスにやってきました。「きちんとお医者さんに診てもらって。2時30分に予約を入れておいたから。行ってね。レントゲンを撮ってもらってね」と言うのです。私が「心は伝わったよ」とにべもない返事をすると、娘は涙を流し、同じことを繰りかえして言いました。医者に行くとは言わずに、結局娘を返しました。私は、娘が出て行った後に心を揺さぶられました。こんなに愛されている。携帯で「今から、行くよ。ありがとう」と連絡して、医者に行きました。それで折れていたことが分かりました。

 パウロの涙はコリント教会の人には見えません。でも、手紙の文面から、パウロの涙の流れる音が聞こえたはずです。
コリントの人々にパウロの心が通じたのです。パウロの涙の祈りが届いたのです。

 主イエスがどんな方か、思い出しましょう。主イエスは私たちの涙を読み取ってくださり、涙を流してくださる方です。

 主はその母親を見てかわいそうに思い「泣かなくてもよい」と言われた。(ルカ7:13)
イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)

 あなたの愛を涙に変えて祈りましょう。伝えましょう。


3、赦しと慰め

 パウロは、罪を犯した人の処罰の断行を知り、今コリント教会で必要なことは、赦すことと慰めることだと諭しました。

 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。(第2コリント2:6~7)

 パウロが望んだのは、コリントの人々を倒すことではなく、コリント教会の人々の笑顔を見ることでした。直言や叱責の最終目的は、回復であり、喜びの回復です。それを忘れないように。

 あなたの番です→
 □あなたが大切にしている人は誰ですか
 □涙にくるんで、あなたの愛と真心を伝えましょう
 □最終的に、あなたが見たいと望んでいることを忘れないように