ルツ記3章 おおってください

1、ナオミの思いやりと知恵 (1~5節)

 しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてからはいって行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」(1~5節)

 「娘よ。あなたがしあわせになるために」(1節)ナオミは、嫁のルツの幸せとは何だろうと考えました。ここに、姑の愛があります。
 あなたにとってのルツとは誰ですか。血のつながりはないけれど、近くにいる人。あなたにとってのルツのため、あなたができることを探しましょう。

 「私におっしゃることはみないたします。」(5節)
 ナオミは、ルツに、大胆な知恵を授けました。今夜、ボアズのふところに飛び込み、心を伝えなさいというのです。
 落穂拾いという小さな事をコツコツと続けてきたルツにとっては、このアドバイスは勇気のいることでした。でも、ルツは、神への献身を表すような言葉を力強く述べました。I will do whatever you say.
 神は、人生の中で何回か、とても大きなチャレンジをされます。今がその時かもしれません。主があなたに命じた大きなチャレンジは何ですか



2、女性からのプロポーズ (6~13節)

 こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」(6~13節)

 夜中、足元の異物に気づいてボアズが起き上がります。その時、ルツは9節の言葉を言いました。「あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。」(9節)
 おそらく、その夜、ルツは一睡もせず、言うべき言葉を何百回も練習していたことでしょう。おおってくださいという言葉は、美しい言い回しです。私は、あなたに守って頂く必要がある弱い者です。私は、あなたのそばにずっといたいのです。決定権は、あなたにあります。
 この言葉にはそういう意味が込められています。男性の立場から見ると逆プロポーズですが、これだけ適切な事場を言われたら、悪い気持ちは全然しないでしょう。
 ボアズが、「翼の下に避け所をもとめてきたイスラエルの神」(2:12)とルツに語った言葉と関連するなら、私たちが神に助けを求める言葉と理解することもできます。

 ボアズは、ルツの申し出を即座に受け入れ、今後の行動計画を提示しました。ボアズの言葉は主イエスからの励ましの言葉のようにも聞こえます。「恐れてはいけません。あなたが望むことはみな、してあげましょう。」(11節)

 ボアズの素晴らしい点が二つあります。第一は、性的誘惑に負けない自制心です。自分をコントロールできました。第二は、行動力です。決断に躊躇がなく、行動が安定しています。

 あなたも、神におおってもらませんか。今の状況をそのまま述べて、神の保護を求めましょう。


3、素手では帰さない  (14~18節)

 こうして、彼女は朝まで彼の足のところに寝たが、だれかれの見分けがつかないうちに起き上がった。彼は、「打ち場にこの女の来たことが知られてはならない。」と思ったので、「あなたの着ている外套を持って来て、それをしっかりつかんでいなさい。」と言い、彼女がそれをしっかりつかむうちに、大麦六杯を量って、それを彼女に負わせた。こうして彼は町へ行った。彼女がしゅうとめのところに行くと、しゅうとめは尋ねた。「娘よ。どうでしたか。」ルツは、その人が自分にしたことをみな、しゅうとめに告げて、言った。「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから。」(14~18節)


 「素手で帰ってはならない」(17節)素手という言葉は、1章21節にあったナオミの苦悩の言葉と同じです。主は、本来、素手で帰す方ではないのです。失意の経験をすると、二度と満たされることはないと、勝手に考えやすいのが私たち人間です。でも、神はあなたに言われています。あなたを素手では帰さないよと。

 「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。」(18節)ナオミは、忍耐が必要だとルツに教えました。ただし、ナオミは年の功で、ボアズが今日のうちに必ず実行することを見抜いていました。私たちにも、忍耐が必要です。忍耐は、あなたの品性を築くために不可欠な信仰の熟成期間です。 
 「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル10:36)


 神は、ルツ記3章で、何一つ人に直接語りかけていません。でも、神が一人ひとりに働きかけておられることは明らかです。
 神は、ナオミに思いやりと知恵を授けました。神は、ルツに勇気と機転を与えました。そして、ボアズに、誘惑に打ち勝つ自制心と、行動力を与えました。神は、沈黙の中で饒舌に語りかけておられるのです。あなたに必要なものは何ですか。思いやりですか。勇気ですか。自制心ですか。行動力ですか。神に、あなたも求めましょう。
 
 もしルツが否定的な人なら、ナオミの助言を退けて、次にように言ったかもしれません。私は、貧乏人でボアズは金持ち、彼は地域の有名人で私は外国人の未亡人、私が結婚を願うなら拒絶され世間の恥さらしになるだけです。現実はそう甘くない。現実は不公平で現実は冷たいものです、と。

 でも私は最後にこう言いたいと思います。現実とは、あながの決断が築く未来です。

 決断という名の絵の具で真新しいキャンバスに向かうなら、そこにあなたの新しい現実が描かれるのです。

 ルツの勇気ある決断の結果、ボアズとの結婚の道が開かれ、やがてその子孫にダビデが生まれ、その子孫に主イエス・キリストが生まれました。
 あなたは、あなた自身のルツ記を書いているのです。主に励まされながら、大きな一歩を勇気と信仰をもって踏み出しましょう。あなたの大きなチャレンジとは何ですか。

 I will do whatever you say.  「私におっしゃることはみないたします。」(5節)