ヨシュア記1:1~9 雄々しくあれ

リーダーが交代するとき、そのグループは危機を迎えます。今度のリーダーは良い人か。きちんと役割を果たせるだろうか。人々は、不安を感じ、昔のリーダーを懐かしがります。

指導者の交代という危機を乗り越えるための秘訣が7つあります。
①新リーダーを任命、②使命を確認、③「与えようとしている」と「与えている」を理解する、④神の約束を受け入れる、⑤雄々しくあること、⑥みことばを口ずさむ、⑦フォロアーシップ


1、新リーダーを任命する

 さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。(ヨシュア記1:1)

適切な人物を新リーダーに任命する。これはとても大事です。後継者を決めずにそのまま放置することはグループの崩壊を意味します。
 今日の箇所では、神がモーセの後継者としてヨシュアを選んだことが分かります。ヨシュアは、「モーセの従者」で長年モーセから信仰を学んできた人でした。

 リーダーの息子だからとか、長くいるから、歳が上だから、社会的に地位があるから、声が大きいからなどの理由で、リーダーを選ぶ場合が多いですが、しばしばそれは問題を招きます。
 神が選ばれたリーダー、それが、リーダーの資質で最も大事な要素でしょう。神が選んだリーダーが誰なのか、見極めるのは人間的には難しいことです。現代に適応するなら、毎週礼拝を欠かさない人が教会のリーダーになるための必要条件だといえるでしょう。礼拝を優先順位のトップに置く人は、神を愛している人、神の栄光をあらわしたい人、神から学びたい人だからです。いわば、神の「従者」としての姿勢を保っているからです。


2、使命を確認する

 わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。(2節)

新しいリーダーは、いよいよ自分の番だ、自分のカラーを出すぞ、と意気込みます。でも、聖書に描かれるリーダーは自分のやりたいことを好き勝手にやるわけではありません。神が与えて下さった使命をしっかりと受け継ぐ人が真のリーダーです。
 約束の地に入り、そこを占領すること。それが、ヨシュアに与えられた使命です。

ここで大きな質問をします。あなたにとっての約束の地とは何ですか。言い直します。あなたは、どんな使命を神から与えられていましたか。

 もう少し、このテーマを因数分解してみましょう。以下の3つの分野での使命とは何ですか。
1)家庭で、2)社会で、3)教会で。

あなたが勝ち取るべき地は、何ですか。


3、「与えようとしている」と「与えている」の違いの認識

わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。(2~3節)

 「与えようとしている」(2節)と「与えている」(3節)という二つの言葉の意味するものを、リーダーはしっかりと把握する必要があります。
神は、イスラエルの民にこの地をすでに「与えている」のです。神の側ではすでに完了しています。小包は発送されました。
 けれども、イスラエルの民は今ヨルダン川の東側におり、約束の地には入っていません。ヨシュアとイスラエルの民が実際に歩いて入り、勝ち取った土地、「足の裏で踏む所」だけが自分たちのものになります。
 
私たちの人生にも、「与えようとしている」と「与えている」があります。勝利や祝福を自分のものにするには、足で踏む必要があります。足は汚れたり、傷ついたりするでしょう。でも忘れないで下さい。すでに与えられているのです。神の側では完了しています。勝利は間違いないのです。神が約束された広大な領土(4節)は、ダビデとソロモンの時代に実現しました。


4、神の約束を受け入れる

あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(5節)

ヨシュアには、神からの約束が与えられました。「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。」
 神が共にいるという意味は、失敗や落胆がないという意味ではありません。この後の記録を見るとヨシュアは何度も失敗し、心が萎える経験をします。神が共におられたので、失敗から立ち上がり、困難を乗り越えることができたのです。

 アフリカの奥地を一人で旅することになれば心配でいっぱいになりますが、そこで30年活動してきた宣教師が一緒に行ってくれるなら安心ですね。神は、ベテランの道先案内人です。


5、雄々しくあること

強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。(ヨシュア1:5~7)

ヨシュアが臆病だったので、雄々しくあれと言われたのでしょうか。いいえ違います。イスラエルの宿敵アマレクとの戦いで先頭に立ったのは若き日のヨシュアでした。(出エジプト17:9~10)また、カナンの地を偵察に行った12人の一人で、多くの者が悲観的な事を述べて人々の士気をくじきましたが、ヨシュアはカレブと共に信仰に立って積極的な意見を述べました。(民数記14:6~9)

 ヨシュアが若かったから恐れがあったのですか。いいえ。斥候に使わされた時が20歳前後なら、40年の荒野の旅を計算すれば、経験を積んだ60歳の壮年です。

偉大な指導者の後のリーダーはプレッシャーが強いものです。イスラエルの大勢の人々の命運を自分が背負うと思えば、責任感で恐れが来ることは当たり前でしょう。
神からの助けなしには、リーダーの責任は果たせないと謙虚に思える人が神に用いられるリーダーです。神の励ましで奮い立つ人こそ、真のリーダーです。

 ヨシュアはモーセから「雄々しくあれ」と言われました。(申命記31:7~8)また、神ご自身も「雄々しくあれ」と直接ヨシュアに語られました。(申命記31:23)そして、ヨシュア記に入っても、同じ言葉で励まされました。リーダーに必要なのは、神からいただく勇気です。


6、みことば 

この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。(8節)

みことばを口ずさむこと。思い巡らすこと。それが、リーダーとしての役割を果たすために不可欠な生活習慣です。
ですから、毎日聖書を読んでいる人がリーダーになっていくのは、自然な流れです。

 私は大学時代、教会の高校生会のリーダーになりました。「どうだい、先週、毎日聖書は読めたかな」と高校生に質問しながら、ディボーションができるよう指導していました。実は、そのおかげで、毎日聖書を読む習慣が身に付いたのだと思っています。40年間、毎朝聖書を読む習慣は最も価値ある生活習慣でした。


7、フォロアーシップ

 ヨルダン川東岸部、南から北に向かって、イスラエルの12部族のうち、ルベン、ガド、マナセの半部族がすでに領地を得ていました。ですが、彼ら2部族半は他の部族の先頭に立って戦いを続けると約束し、(14節)新リーダー、ヨシュアへの忠誠を新たに表明しました。

 あなたが私たちに命じたことは、何でも行ないます。また、あなたが遣わす所、どこへでもまいります。私たちは、モーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。ただ、あなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。(16~17節)

何でもします。どこへでも行きます。なんとすがすがしい言葉でしょうか。

 指導者交代の際に、新しいリーダーに不安を感じ、昔のリーダーを懐かしがり、場合によっては反抗することがしばしばあります。ルベン、ガド、マナセの半部族は、神が立てたリーダーであることを根拠に、文句なしに従うという忠誠心を示しました。リーダーシップは、フォロアーシップがあって初めて機能します。新リーダーを生かすも殺すも従う人々の態度次第です。
私は25歳で副牧師になりました。40代、50代、60歳代の先輩たちが、若造のメッセージを熱心に聞き、私の未熟なリーダーシップに従ってくれました。

あなたは誰に対してフォロアーシップを示しますか。美しいフォロアーシップを示してください。


→あなたの番です。
     あなたにとって、約束の地とは何ですか。
     リーダーとして立つために、あなたは何が必要ですか。
     合言葉は、「雄々しくあれ」。神はあなたと共にいます。
     何をすることが、あなたのフォロアーシップですか。