詩篇29篇 栄光を主に


 主にお返しすべきものがあります。
でも私たちは、いつもそれを忘れています。
それは、主に栄光を帰す事です。
  詩篇29篇をとおして神に栄光を帰すことを考えてみましょう。

1、主に栄光を帰すことを忘れるな(1~2節)

力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。 御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。 (詩篇29:1~2節)

1節と2節で3回繰り返される言葉は何でしょう。「主に帰せよ」です。私たちは、自分ひとりで生きていると錯覚します。自分の能力や頑張りで今の地位や名誉やお金を得たという思い違いをしています。本来神が持つべき栄光を、人間が独り占めしてはいけません。お返しましょう。主に栄光を帰しましょう。

音楽家のバッハは、自分が書いた教会音楽の楽譜の最初にJJ、と書き、最後にSDGと書き入れました。JJは、Jesu juva!、主よ助けて下さいという意味のラテン語。SDGは、Soli Deo Gloria!、ただ神にのみ栄光あれという意味です。「バッハさん、素晴らしい曲ですね」と誰かに言われたら、「ありがとう。でも、これはすべて主の助けで作曲できたものです。」と説明して、神に栄光を取っていただこうという意図でしょう。

 主に栄光を帰すという言葉を、別の言葉で言い換えるとどうなるでしょう。神を賛美する。神をたたえる。神のみ旨を行う。神から頂いた賜物を用いる。神をひれ伏して礼拝する。自分がほめられた時に、神に感謝する。このように言い換えることも可能でしょう。

 今、神に栄光をお返ししましょう。


2、大自然が語る神の栄光(3~9節)

 3節から9節は、大自然にあらわされた神の偉大さが語られています。

主の声は、水の上にあり、栄光の神は、雷鳴を響かせる。主は、大水の上にいます。
主の声は、力強く、主の声は、威厳がある。
主の声は、杉の木を引き裂く。まことに、主はレバノンの杉の木を打ち砕く。
主は、それらを、子牛のように、はねさせる。レバノンとシルヨンを若い野牛のように。
主の声は、火の炎を、ひらめかせる。
主の声は、荒野をゆすぶり、主は、カデシュの荒野を、ゆすぶられる。
主の声は、雌鹿に産みの苦しみをさせ、大森林を裸にする。
その宮で、すべてのものが、「栄光。」と言う。
(3~9節)

 パレスチナ北部には二つの高い山があります。レバノンとヘルモンです。中央部北部に位置するのがレバノン。ヨルダン川東部山脈の北部にあるヘルモン(シルヨン)です。
 その付近で起きた、雷鳴、落雷を神のみわざととらえて、3節から9節で主の偉大さをほめたたえています。
雷が森林地帯に落ち、大木を切り裂き、大雨や大風や雷が森を跳ねさせ、山火事が起き地面が明らかにされ、乾燥した荒地には地震が起き、森の小さな動物たちの営みに至るまで神が司っておられるのです。
「主の声」が7回繰り返されています。主の意思、主の言葉が、世界を形作っていることが分かります。

その宮で、すべてのものが、「栄光。」と言う。(9節)

神につくられたすべてのものはすべて、神をたたえています。人里離れた山奥で咲く花、歌う鳥たちも、神をたたえています。神をたたえていない被造物は、人間だけです。

私やあなたの、能力も性格も経験も外観もすべて神からいただいたものです。お金も家族も地位も仕事も、神の助けによって与えられているものです。だから、神にありがとうを言い、神に栄光を帰すのです。


3、栄光の神による祝福(10~11節)

 礼拝に参加する人は、自分が良い気分になりたい、癒されたい、感動したい、などと自分の願いをかなり強くもって来る人がいます。言い方は悪いですが、かなり自己中心な目的だと思います。でも、帰るときには、心が整えられて帰っていくことになります。
 それは、賛美し、祈り、聖書を読み、神のみこころを聞くうちに、自分の心の軌道修正が行われるからです。礼拝で、自然な形で神に栄光を帰していくので、神から力と平安と祝福をもらえるのです。
 
主は、大洪水のときに御座に着かれた。
まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。
主は、ご自身の民に力をお与えになる。
主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。
(10~11節)

神に栄光を帰す人に、神は力と平安と祝福を与えて下さるのです。

ハーバード大学の白熱教室で知られるサンデル教授が授業でおもしろい事をして見せました。大きな壷に、大きめの石を入れていっぱいにしました。「もう何も入らないと思うかい」と学生たちに聞くと、「ノー、まだ入る」と答えました。そこで、小さめの砂利を入れて、壷をゆすりました。「これではどうだい」「まだ、はいる」 今度は砂を入れました。「まだ、入るね」最後に水を入れました。「これで一杯になった」
一番大きな石を最初に入れない限り、後からでは入らないという事を学べる。人生という壷に、どうでもいいことを先に入れてしまうと、最も大事なものは入らなくなる。だから、大事なものから先にいれるんだと彼は教えたそうです。

さて、私たちの人生で、最も大事なものは何でしょう。
最も大事なもの、最も大きな石を私たちの心の真ん中に入れましょう。
それが、神を信じることであり、神に栄光を帰すということです。

力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。  御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。(1~2節)

→あなたの番です
□神に栄光を帰すことを忘れていませんか □礼拝は、私の満足ではなく、神に栄光を帰すもの
□神の力と平安と祝福を、今、求めましょう