詩篇30篇 嘆きを踊りに



 カフェの店主がコラムを書いていて、おいしいコーヒーをいれるコツがあるというのです。第一に、コーヒーメーカーをよく掃除すること。やってみるとおいしさが劇的に変わるといいます。第二に、良い水を入れること。コーヒーの98%は水なので、おいしい水がかなりの比重を占めま
信仰の世界も類似点があります。罪を悔い改め、心を主にきれいにしてもらいましょう。その上で、恵みをたっぷりと注いでもらいましょう。

1、賛美で始める

最初の1~3節に注目して下さい。私たちの祈りと似ていますか、どこが違いますか。

主よ。私はあなたをあがめます。
あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせることはされなかったからです。
私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。
主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、
私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。(詩篇30:1~3)

 詩篇は150篇もありますが、「主よ。あなたをあがめます」というストレートな賛美で始まる詩篇は今日の詩篇、30篇だけなのです。

ダビデは賛美しています。あがめるという言葉は、高くするという意味です。神に引き上げられ、敵から助けられ、いやされ、生かされたことを思い起こして賛美しています。

詩篇30篇は、苦しみの中で神に助けを求める祈りなのに、賛美でスタートしています。賛美で始めると、祈り方、祈りの内容、祈りの姿勢が変化します。ここにダビデの信仰の秘訣が見られます。

あなたの祈りを、心を込めた賛美で始めてみませんか。


2、神がしてくださった過去の恵みを振り返る

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。
まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。
夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。
私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」
主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。
あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていましたが。(4~7節)

 ダビデは、主を賛美した後に、神がしてくださった恵みを振り返っています。神から受けた過去の恵み、恩寵を、ダビデは何度も味わい、感謝しました。

 ダビデが過去の体験を静かに振り返ると、御怒りの期間はつかの間だったという事に気がついたのです。自分の罪ゆえの神から罰を受けたとしても、それが永遠に続かなかったとダビデは知っていました。むしろ、神から受けた恵みの深さは、信じがたいものだったのです。

 第二サムエル24章によると、ダビデは神の祝福を自分の能力と取り違え、傲慢になって人口調査をした経緯が書いてあります。その結果、神からさばきを受け、多くの人が犠牲になりました。この辛い経験が、「御怒り」を指すのかもしれません。

 ダビデは繁栄を経験をした時、「私は決してゆるがされない。」と傲慢になりました。ダビデはその時の失敗を強く悔いています。砕かれた人は美しいのです。砕かれた人は謙虚なのです。

 勇士ダビデの目に涙がありました。夕暮れの涙は、一日の生活で経験した悲しさ、失敗、無念さ、空しさ、はがゆさなどを原因としています。自分の失敗もあれば、他人から受けたひどい仕打ちもあるかもしれません。暗闇は、疲れや孤独感をいっそう際立たせます。「宿る」という表現に目をとめるなら、涙で夜を明かしたと訳すことも可能でしょう。泣きながら寝てしまうことだってありますね。未解決で寝て、起きると解決していることだってあるのです。

 夕暮れに涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びになったことをダビデは体験で知っています。涙が喜びなるのは、状況が変化したか、自分が変化したかの二つに一つしかありません。
眠ることなく、まどろむことのない神が、何かをして下さるのです。主の力によって困難な状況が好転することがあるのです。あるいは、自分の考え方、こだわり、感じ方が、主の助けにより劇的に変わる場合があるのです。

 あなたの夕暮れは、今、涙ですか。
 主は、あなたの涙を知っておられます。
 主に状況を変えていただきましょう。あるいは、あなたを変えて頂きましょう。
 主は、あなたの涙を喜びに変えることのできるお方です。


3、恩寵を何度も振り返りながら、感謝で終わる

 ダビデは、詩篇30篇の最後をどのようにして、締めくくっていますか。私たちの祈りの終わり方と似ていますか。

主よ。私はあなたを呼び求めます。私の主にあわれみを請います。
私が墓に下っても、私の血に何の益があるのでしょうか。
ちりが、あなたを、ほめたたえるでしょうか。あなたのまことを、告げるでしょうか。
聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。
あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。
あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。
私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。
私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。(8~12節)

 ダビデは、神の助けを求めて祈っています。殺される危険と隣り合わせで、緊急の祈りをしているのです。「あわれんでください」「助けとなってください」と祈りました。

 そんなに差し迫った時にも、11節にあるように、過去の恵みをもう一度振り返っています。ダビデは神の恵みを思い起こし、短い言葉でそれを表現できました。
 試練の波が来る。過去の恵みを振り返る。さらに強い試練が来る、再び過去の恵みを思い起こす。何度でも主の恵みを思い返して下さい。私の妻は30年以上ディボーションノートを付けて、主の恵みを記録していますが、試練の時にそのノートを取りだして読むのだそうです。すると、力が湧いてきて、きっと主が良くして下さると信じることができるのです。

私たちは、人がした酷い仕打ちばかりを思いだして憎しみやうらみを増幅しますが、ダビデは主の恵みを振り返る能力が人並み外れているのです。神がして下さった事をもっともっと思い出しましょう。
神が嘆きを踊りに変えてくださった事、神が荒布を脱がせて喜びを着せて下さったことに注目しましょう。

「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。
あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。」(11節)

2013年10月7日イギリス北部での出来事。ジョンさんは友人のパイロットが運転するセスナに乗りますが、午後6時半ごろ運転手が心臓の発作か何かで運転不能になり無線で必死に助けを呼びました。管制官は、セスナのインストラクターを呼んで援助を求めました。ロイさんという運転指導者は、ジョンさんに曲がり方、降り方などを教えました。言われた通りに飛行場まで誘導され、1度目失敗、二度目もやり直し、3度目もダメで、午後7時半頃に4度目でハンバーサイド空港に無事着陸。すばらしい着陸だとロイさんは述べましたが、目撃者によると何度もジャンプを繰り返しプロペラを地面にぶつけて止まったそうです。
 私たちが助けを求めると、セスナの運転指導員以上に適格な言葉で主は私たちを助けてくれます。私たちは、過去に何度も主に助けらてきたのです。だから、今回の苦しみも主のアドバイスで乗り切ることができます。必ず、着地できるのです。

「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。
夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」

 →あなたの番です
 □辛い時にこそ、祈りを賛美で始めよう
 □神が助けられた過去の恵みを思い起こそう
 □夕暮れの涙が、朝明けの喜びになることを信じましょう