ピリピ1:1~30 喜びを持つ秘訣



 伝道者パウロは牢獄で喜んでいた。
 ピリピの手紙から、パウロの生き方の秘訣を学ぼう。
 パウロは逆境の中で何をつかんだのだろう。

1、同じ価値観を共有

 私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1:3~6)

 ピリピ人の手紙には、エペソやコロサイの手紙のような緻密なアウトラインがない。冒頭部分には、他の手紙にはない喜びと信頼にあふれている。久しぶりに出会った親友と笑顔で語り合う姿を彷彿させてくれる個人的な手紙なのだ。
 パウロは喜んでいた。獄中であることを忘れて喜んでいる。ピリピの人々を思い出すだけで胸がいっぱいになる。

 ピリピの人との出会いは、第2回伝道旅行の時に始まる。(使徒16:11~40)ピリピのクリスチャンは、困難の中でも主イエスを愛し、福音を伝えることに熱心だった。また、パウロを敬愛し、パウロを忘れず、パウロが宣教を続けられるようにと支援献金を何度も送った。(使徒18:5、ピリピ4:15~18)獄中のパウロにも献金を送った。
 ピリピの人々とパウロは、最も大事な価値観を共有していた。主イエスと福音のためなら何でもするという思いが一致していた。だから、パウロは、ピリピの人のために祈りだすと、嬉しくてしょうがない。
 喜びを持つ秘訣の第一は、心を分かち合える信仰の友を持つことだ。

 主イエスのために生き、神の栄光のために生き、福音を伝えて生きるというコアとなる価値観をあなたが持とう。それを夫婦の間で共有しよう。主にある教会の仲間で共有しよう。そこに、喜びが生まれる。同労者としての絆が深まる。

 次に12~19節に目を留めてほしい。パウロは、牢獄にいるという自分の状況をプラス思考で、客観的にとらえることができた。皇帝直属の親衛隊にも証しができたことを感謝し、純真な動機からではない伝道ですら喜べた。
 それは、識別力の賜物だ。

 パウロが牢獄でも喜べた秘訣の第二は、洞察力だ。細部に流されず、物事の本質を見抜く目、識別力が喜びを招き入れる。それで、パウロはピリピの人々が洞察力を持てるように祈った。

 私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現わされますように。(ピリピ1:8~11)



2、生きることはキリスト

 パウロは、裁判の行方に希望的な観測は持っているが、場合によっては死刑もあり得ると覚悟を決めていた。できれば、死んで主イエスのそばに行くことのほうが自分には良いとパウロは知っていた。ちょっと早目のリタイア感覚に憧れていた。

 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。(21~23節)

 あなたは、死が怖いですか。
 パウロは死を超えたかなたに、主イエスと共なる喜びを確信していました。だから、生きる、死ぬ、を超えた人生観を持っていた。だから、強いのです。
 キリストのために何度も死ぬ目にあって来たパウロ。キリストのためなら命は惜しくないと、誰の前でも行動してきたパウロ。

 日本のご利益宗教のような自己中心な考えは、パウロにはみじんもない。神々を500円玉程度のお賽銭で利用する信心とは全く違うのです。
 
 私は、イエス・キリストによって救われた。だから、イエス・キリストのために生きる。主イエスは、私のために死んで下さった。だから、主イエスのためになら死ぬこともいとわない。生きることも、死ぬことも超えた清々しい生き方がパウロの中にある。

 あなたは、何のために生きていますか。心の中を貫く心棒を持ちましょう。主イエスのために生きる、そう方向性を決めましょう。

 喜びを持つ秘訣の第三は、キリストのために生きるという覚悟です。



3、信仰の進歩と喜びのために生きる

 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。(24~25節)

 パウロは、ピリピの人々の「信仰の進歩と喜び」のために生きる、と決意しました。
 身近な配偶者や家族をさばいているなら、あなたに喜びはありません。むしr、身近な誰かの心の成長のために自分を使いたいと思うことです。身近な誰かが、信仰の目が開かれることを想像して下さい。身近な誰かが、信仰の喜びをあかしする姿を夢見て下さい。

 それこそが、福音にふさわしく歩むということでしょう。「ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(27節)

 喜びを持つ秘訣の第四は、誰かの霊的成長のために生きることです。
 もらう事に焦点を合わせず、与えることに意識を向けると、自然に喜びがやってきます。

 どんな状況でも喜びを持つ第五の秘訣は、苦しみを選び取ることです。

 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。(29~30節)

 キリストは私たちのため苦しんでくれた。苦しみを選び取られた。その事実に目を向ける時、私たちは強い感化を受けます。
 多くの親たちは、子供ために苦しみを担っています。苦しみから逃げるのではなく、キリストのために苦しみを背負っていく姿勢を示すなら、苦しみが苦しみでなくなるのです。


 →あなたの番です
  □「生きることはキリスト」という価値観を持とう
  □誰かの霊的成長のために、何かを始めよう