コロサイ1:1~29 栄光の望み


 体重計はかわいそう。一生懸命まじめに仕事しているのに、「壊れてるかもしれないよ。こんなに重いはずないもの」と毎回言われるからです。

 私たちは体重計ではありませんが、人生の踏ん張りどころでしっかりと耐えることが必要です。今日は、コロサイ1章から、信仰を深める勘所と苦しみに立ち向かう秘訣を学びましょう。


1、4つの祈り

 パウロは1~2節で挨拶を述べ、3~5節では信仰と愛において優れているコロサイ人を感謝しています。パウロはコロサイで伝道したことはなく、6~8節にあるようにエパフラスが福音を伝えました。

 コロサイ人に対するパウロの祈りが9~12節にありますが、祈りの中の4項目がこの手紙の重要ポイントになっています。

こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。(コロサイ1:9~12)

1)知識                         真の知識、神のみこころ、霊的な理解力
2)実行                         良き行い、具体的な行動
3)強くされる                神の力、成長の方法、訓練
4)礼拝                         感謝、礼拝の本質、天に目を向ける

 このパウロの祈りをよく観察すると、信仰の成長には4つの要素が必要だと分かります。健全な信仰は正しい知識によって支えられ、みことばを実行する事により身に付き、弱さの中に働く神の力を経験して成長し、神を真に礼拝する中で整えられます。
 この4つの要素は、コロサイ人への手紙におけるメインテーマになっています。

 あなたは、どの部分が強く、どこが弱いですか。


2、本当の御子の姿

 15~23節は、イエス・キイリストについての知識が語れています。「御子は」というフレーズが15、17、18、18節に繰り返されることから、神の御子、イエス・キリストの本質が述べられていると分かります。コロサイ教会に悪い影響を与えていた哲学に対する反駁としての意味が含まれています。

 ここでのポイントは二つ。御子は創造主、これが第一点です。家畜小屋で生まれ、十字架で死なれただけが主イエスのすべてではない。御子イエスは、宇宙の始まる前から存在し、宇宙を創造された方だとパウロは述べています。
 パウロは律法学者で旧約聖書の知識が豊富なので、箴言8章に書かれている人格を持った<ことば>による世界創造を理解しており、主イエスが「わたしはアブラハムが生まれる前からわたしはいるのです」(ヨハネ8:58)という発言も知っていて、主イエスが途方もなく偉大な創造の神だと結論づけたのでしょう。ヨハネの福音者の冒頭部分、「すべてのものはこの方によって造られた」(ヨハネ1:3)を彷彿させる内容です。

御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。(15~18節)

宇宙や生物に目を向けると、主イエスの大きさに圧倒されます。さそり座α星のアンタレスは太陽の700倍の大きさを持ち、明るさは太陽の8000倍だといいます。マッコウクジラは深海1000mにもぐり1時間息をしないで泳げます。ハミングバードは虫のように小さい鳥で、一秒回に55回も羽根を動かします。聖書によれば、主イエスがこれらのものを造られたのです。

 第二のポイントは御子が救い主であるという事です。宇宙の創造主である御子が、ご自分の命を捨てて、神に敵対していた私たちの罪を赦し、聖くしてくださったのです。血を流してまで、私たちを救う御子の姿に驚きます。「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」(14節)第二のポイントから、私たちは、主イエスの広大な愛を感じます。

なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。(19~22節)

 私たちは、御子イエス・キリストによって造られた世界に住み、御子によって罪が赦され、御子と共に生き、御子のために生きる存在なのです。

 デニス・ウエイトリーさんは1979年、ロサンゼルスで講演をするためにシカゴから飛行機に乗る予定でした。遅れて到着したため、ゲートで止められ、乗るはずのアメリカンエアライン191便は目の前で動き始めてしまいました。憤りを静められないまま、カウンターに並びチケットの払い戻しを受けようとしていると、搭乗予定の飛行機が離陸直後墜落し乗客乗員271人が死亡したことを知りました。その晩、ホテルのベッドの前で跪き、祈りをささげました。その日のボーディングパスは払い戻しをせず、以来、自分のオフィスに掲げ続けたそうです。
 あなたのボーディングパスは、聖書であり、また、主イエスの十字架です。


3、苦しみを喜ぶ

 24~29節に、パウロの奉仕の心がけが書かれています。

ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。(24~25節)

24~29節で繰り返されるのは、「私は」という言葉です。(24、25、28、29節)パウロの決意、使命、熱意が伝わってきます。
パウロは、かつてダマスコ途上で、苦しむ使命(使徒9:14~15)を神から頂きました。人々のため苦しむ、キリストのため苦しむ、教会のために苦しむ人生に入ったのですが、「苦しみを喜びとしています」と言い切りました。

もしかしたら、誰かのために苦しむことが、神から頂いたあなたの大切な使命なのかもしれません。場合によっては、それは1年、2年続くかもしれません。あるいは、数日かもしれません。
赤ちゃんが生まれた夫婦は喜びと共に苦しみが始まります。認知症の家族がいるなら数年間、苦しみから逃げられません。その他、人生にはあなたが担うべき苦しみがやってきます。苦しみを嘆いて逃げるのではなく、キリストのための苦しみとして、しっかり担いましょう。苦しみを喜びにする秘訣は、私たちの胸に住まれる主イエスの存在です。

これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。(26~27節)

福音とは長く隠されてきた奥義で、その本質は御子イエスです。私たちの心に住まれるイエス・キリストこそ、隠されていた宝です。環境にかき消されない希望が御子イエスなので、栄光の望みと言えるのです。

私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。(28~29節)

パウロは福音を伝え、人々を「キリストにある成人」(Perfect in Christ)となるように目標を掲げて弟子訓練をしました。その原動力は、御子イエスです。だから成し遂げることが可能なのです。ピリピ4:13と同じ原則です。
あなたが育てる人は誰ですか。あなたの周囲を見回してください。あなたと同じ境遇の人、あなたより年下の人。あなたの助けを待っている人がいます。その人のために、パウロと同じく4つのポイントでとりなしの祈りをささげて下さい。そして、その人を育てましょう。苦しみなしに育てることはできません。

まとめます。主イエスを信じることは宇宙の創造者と直結することを意味します。あなたは主イエスの大きな愛を受け、イエスの血により罪が赦されました。
あなたの内に住むイエス・キリストの力と励ましを受けて、苦しみを担い、誰かを育てる働きに取り組みましょう。


→あなたの番です
□創造主、贖い主である御子をたたえる
□苦しみから逃げない
□誰かを育てる人になる