第1サムエル4:1~22 栄光が去った時


 「勝った試合から学べることは何もなかった」
 とゴルフ選手ボビー・ジョーンズは語りました。敗北から多くを学んだという意味でしょう。
 「栄光が去った」と言わしめた戦いから、大切な教訓を学びましょう。

1、敗北

約束の地に定住したイスラエルにとって最大の敵はペリシテ人でした。ペリシテ人は、海岸に近い5つの町を支配下に置く強い民です。戦場は海から東に15キロ付近の丘陵地帯。イスラエルはエベン・エゼルに、ペリシテ人はアフェクに陣を敷き、にらみ合っていました。緒戦はペリシテが優勢で、イスラエル軍は4千人を失いました。(1~2節)

民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。」(3節)

 イスラエルの長老たちは、敗戦の背後に主の手があったと推測しました。その判断は適切でしたが、後がいけません。「なぜ?」に対する答え書いてありません。答えのないうちに、お手軽で即効性のある解決策を取りました。
 イスラエルの長老たちは、神の箱がありさえすれば勝てるという短慮に走りました。「シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真中に来て、われわれを敵の手から救おう。」(3節)

 ヨシュア記7章に敗北の記録があるので比較すると大切な点が見えてきます。
 「ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。」(ヨシュア7:6)
 ヨシュアと長老たちは夕方まで悔い改めと悲しみを表明しながら、主に祈りました。「なぜ?」という問いを大切にしたのです。すると、主が応答され、約束を破った者がおり、罪のきよめが必要だと指摘されました(ヨシュア7:10~13)。指示に従った結果、イスラエルは勝利を得ました。

 敗北したら、敵ではなく、主に目を注ごう。主の望まれる道だったのか。罪の悔い改めが必要ではないか。主に頼っていたか。謙虚で平和な心でいたか。砕かれた心で再スタートしよう。

 本当の勝利者とは、敗北から学ぶ人です。

 

2、栄光が去った

神の箱が安置されていたシロは戦場から東に30キロの距離。イスラエルの指導者は神の箱を兵器の一つのようにみなし、神の箱さえあれば勝てると考えました。悪名高い祭司ホフニとピネハスが神の箱運搬の責任者なので、彼らは霊的指導者としては不適格でした。イスラエル兵は神の箱を見ると歓喜の雄たけびを上げ、地がどよめいたといいます。(4~5節)

 ペリシテ人は神の箱到着を知り恐れおののきますが、かえって全力でイスラエルに向かって行ったので3万人を倒しての大勝利となりました。ホフニとピネハスは殺され、神の箱は敵に奪われました。(6~11節)神が予告したとおりになりました。

この知らせを持って来た者は答えて言った。「イスラエルはペリシテ人の前から逃げ、民のうちに打たれた者が多く出ました。それにあなたのふたりの子息、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。」彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。彼は四十年間、イスラエルをさばいた。(17~18節)

神と民をつなぐ祭司エリはいわば首のポジションに当たります。その首がおられたのは実に象徴的な最後でした。

ピネハスの妻は、急な陣痛で男子を出産して亡くなりました。最後に言い残したのは息子の名で、イ・カボデ。「栄光がイスラエルから去った」(21節)という意味でした。何年も前から、神の栄光はなかったのですが、やっと気づいたのです。

栄光が去ったと認識することが、栄光を取り戻す第一歩です。


 マーサは10歳の時から、ダラスで、お父さん一人によって育てられました。自動車の運転もお父さんから教えてもらいました。大学生で看護実習のある時も、お父さんは5時に起きて朝食を作ってくれました。イエスさまのことも教えてくれて、子供の時も10代の時も教会に一緒に行きました。大学を卒業しヒューストンに就職した時も荷物を運んでくれました。
 マーサは6月から仕事を始め、週末をパーティーやアルコールで時間を過ごし、日曜の朝は起きられず、礼拝に行きませんでした。10月になると、楽しかったはずなのに空しくなり、孤独になり、落ち込み、週末に家に帰ることにしました。敗北者でした。
 父さんは、「ウエルカムホーム」と言ってハグして温かく迎えてくれました。「何があったのかを無理に話すことはない。神さまには全部話すんだよ。」と言ってくれました。
 自宅で過ごした週末、自分を取り戻し神に祈ることができ、帰る前に父さんに何があったのかを話せました。父さんは、それを受け入れ、「毎日祈っているよ」と励ましてくれました。
 飛行機でヒューストンに着くとタクシーに乗り、アパートに戻らず、近くの教会に直行し、日曜夜の礼拝に参加しました。それが、マーサの新しいスタートになりました。


 「神へのいけにえは、砕かれた霊。
  砕かれた、悔いた心。
  神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)


→あなたの番です
 □敗北したら、主の前に出ましょう
 □神の栄光は砕かれた心から始まる