第1サムエル8:1~22 王を求めた民


 「みんなが持ってるから買って」「みんながやってるから、いいでしょう」
 これは子供が親にねだるときの常套句です。この場合、みんなとはクラスの全員ではなく、3~4人という意味ですね。
 イスラエルの民も、同じような論理で王が必要だとサムエルに詰め寄りました。


1、王を与えてください

そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」(第1サムエル8:4~5)

 サムエルのリタイヤの時期が近づきました。彼の後継者の息子たちは汚職にまみれて役に立ちません。このままでは、まともな裁判は期待できず、外国から攻撃を受けても防衛できず、安定した生活は送れないと人々は考えました。現実に圧倒されると、目に見えない神に信頼するより、目に見える力や組織に寄り掛かろうとするものです。
 神の存在は信じているが、心配でしかたありません。それで、他国を真似して王を樹立して、軍隊を作り、生活と命を守ってもらおうと考えたのです。

 私は、40歳代で、職探しをしたことがあります。
 履歴書を書くときは、心が重くなりました。英語で履歴書をやっと書き終え、主に助けを祈りました。でも私は現実の重圧に押しつぶされそうでした。明日が見えません。家族5人で生活していけるのだろうか。手持ちの金がなくなったらどうしよう。日本に帰るチケット代すらない。悩みました。
 いくつかの会社に履歴書を送り、面接まで行ったのは3~4社。最終的には、新聞記者として採用されましたが、その途中は本当に辛かったです。
 イスラエルの人々が苦慮した背景を私は理解できます。でも、もう一度、自分たちがしている事の意味と後代への影響を深く顧みるべきでした。

主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」(7~9節)

 サムエルは民の意見を聞いて不機嫌になりましたが、主の導きを求めました。この姿勢は立派です。祈りはこんな時こそすべきものです。

 主の説明はこうです。イスラエルの民は出エジプト以来、神を捨て、他の神々に心を向けて来たが、それと同じことをしている。主の結論は、「民の声を聞きいれよ」でした。これは、民を行くがままに任せ、種をまけば必ず刈り取ることを体験させよという趣旨です。



2、警告

そして言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。(11節)

11~18節で、王制とは何かをサムエルは民に説明し、王に従うことがどんなに過酷かを警告しました。王政の本質は、人々から収奪することです。ですから「取る」という言葉が4回も繰り返されています。

・若い男たちは兵士として取られ、身を挺して王を守る。
・兵士たちに給料を支払うために、民の畑は取り上げられる。
・若い娘たちは、王宮に仕える下働きとして取られる。
・収穫の10%の税金を取られる。
・羊などの10%を取られる。
・民は、王の奴隷となる。

サムエルは、王の権利を語るだけで、王のあるべき姿や義務を語りません。王の力がどれほど強大なのか、結局は奴隷に落ちるのだと警告しました。
なお、申命記17:14~20には、王の義務が書かれています。王は高慢にならず、神にそむかず、自分のために武力も妻も金銀も増やすなという命令が書いてあります。王ほど誘惑の大きな地位は他にないのです。

サムエルは、蒔いた種は必ず刈り取ると警告しました。

その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。(18節)



3、幻想に酔う民

それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」(19~20節)

民は王を理想化しました。
公正さと犠牲心を持つ者が王を期待しました。果たして、一兵卒の前に飛び出し敵の攻撃を一身に集める王がいるでしょうか。自分の利益を後回しにして国民の幸福を第一にする王がいるでしょうか。親がどんなに警告してもその道に突き進む10代の若者とよく似ています。
この後のユダヤの王の歴史を見れば、王政の現実がどんなに悲惨か分かります。ほんの数%の金持ちが世界を支配している現代と構図は変わりません。

主はサムエルに仰せられた。「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」(22節)

7章でサムエルが言ったように、主に帰り、主に心を向け、主に仕え、隣人を愛していくことが人間本来の生き方であり、幸せの源なのです。

 ニック・ブイチチ君(Nick Vujcic)は今31歳、両手両足を持たずに生まれてきましたが、神を信じる両親に育てられ、今、多くの人を励ましています。水泳、スケボー、釣り、色々なスポーツを楽しむ前向きな生き方をしながら、主イエスが救い主であることを世界の人に伝えています。「人と違うことの中にこそ神からの使命がある」、とニックは言っています。
 私たちは周囲の人と同じようになれれば安心し、なれなければ時落胆します。ニックは人と同じにはなれませんが、主が与えたユニークな生き方や使命を生きています。

 あなたは周囲の誰かのマネをして、平均的な人になることを求めていますか。そんなの、一つも面白くありません。イスラエルの人々は、「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」と願いました。まことの神を知らない異国の人々のまねをして、神への信頼を忘れてしまいました。

 →あなたの番です 
□王に頼るのではなく、神を信頼しましょう。
□武力や国力ではなく、神の愛と守りに目を留めましょう。
□周囲と同じで平均的生き方にごまかされず、ユニークで自分らしい生き方を求めましょう。
 □現実的な問題に直面した時こそ、生きておられる神に頼りましょう。

「私と私の家とは、主に仕える」(ヨシュア24:15)