第1サムエル15:1~35  悔いる心、従う心


 「あんなふうに言わなければよかった」。過去を振り返って悔いることがあります。今更どうにもならないのに、何度もその場面を心で再現するのが人間です。
 今日は、悔いること、そして、従うことを考えましょう。

1、アマレクを討て

「今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。」(3節)

アマレク人は、イスラエルの南に住む遊牧民。士師記の時代もイスラエルを苦しめ、ギデオンに敵(士師記7:12)となりました。聖絶すべき理由は申命記にあります。

あなたがたがエジプトから出て、その道中で、アマレクがあなたにした事を忘れないこと。彼は、神を恐れることなく、道であなたを襲い、あなたが疲れて弱っているときに、あなたのうしろの落後者をみな、切り倒したのである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、あなたの神、主が、周囲のすべての敵からあなたを解放して、休息を与えられるようになったときには、あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。これを忘れてはならない。(申命記25:17~19)

サウルは主に従うつもりでした。ですが、結果は違いました。

しかし、サウルと彼の民は、アガグと、それに、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しみ、これらを聖絶するのを好まず、ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶した。(9節)

サウルが良い羊や牛は持ち帰ったのは欲のためでした。アガク王を連れ帰ったのは、戦勝記念碑(12節)を建てたのと同じ動機で、名誉欲でした。


2、聞き従わなかったサウル

しかしサムエルは言った。「では、私の耳にはいるあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」(14~15節)

今回の命令は、主がサウルに与えたやり直しの最後のチャンスでした。ですが失敗しました。失敗の責任は取らず、民のせいにしました。
最良の家畜も王も惜しまずに聖絶したなら、それこそが主への礼拝行為となったのです。何も持たずに帰ることが、最も多くを得る道だったのです。

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(22~23節)

聞き従うことは、いけにえにまさるのです。サウルが神のことばを退けたので、主はサウルを王位から退けました。それは、26節にも繰り返されています。

王位からしりぞけたという言葉に驚き、サウルはわびました。でも、その動機は、あきれたことに、民の前で面子を保つためでした。

サウルは言った。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、主を礼拝させてください。」(30節)

 私たちはサウルに似ていますか。失敗を他人のせいにする。同じ失敗を繰り返す。人に見える部分は取り繕い、フェイスブックで幸せを演出し、神の前での自分をなおざりにする。

 タイタニック号が沈んだ時、付近に三隻の船がいました。一番近い場所にいたマウント・テンプル号は、一旦、方向を変えましたが留まり、すべての電燈を消し、自分達の姿が見えないようにしました。一番遠くにいたカルパチア号の船長アーサー・ロストロン船長は、通信士に起こされ、タイタニック号が氷山にぶつかり沈没の危険にあることを知り、即座に救助に向かへと決断、氷山が浮かぶ危険区域に向けて設計上最速の14ノットのところ17ノットの指示を出し、救助体制を整えました。ロストロン船長はその後、長い時間祈っていたことが目撃されています。彼は、煙草もすわず、酒も飲まない経験なクリスチャンとして知られていました。4時間後に指定海域に到着しましたが、タイタニックの姿はなく、救命ボートに乗った人々を発見、合計706人を助けました。

 聞き従うことは何よりも尊いのです。


3、悔やむ主

今日の箇所には矛盾があることに気づきましたか。主は全能者で、主は悔いることがないと言われていますが、その一方で、主は悔やまれたと書いてあります。29節と35節を比べて下さい。

実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。(29節)

サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった。しかしサムエルはサウルのことで悲しんだ。主もサウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた。(35節)

悔いるという言葉は、ヘブル語でナハームで、悔いる、悲嘆に暮れる、悲しむという意味があります。

矛盾なのでしょうか。私は、そう思いません。悔いるはずのない神が、サウルのことを悔いて、心を痛まれているという表現だと私は理解しました。神はサウルを誰よりも深く愛しておられたのです。

まことの神は、誰よりも多くの人に裏切られています。神は「悔やむ」つらさを知っておられますが、それでも私を信頼してくれます。それが神の愛です。そんな神に対して、主を大切にしていることを行動で示し、まごころを神に伝えませんか。

 サウルが真実な悔いを神の前で表せたなら、事態は変わったかもしれません。サウルにはそれができませんでした。

 シルバーウッド夫婦は2003年、子供たちを連れてヨットで航海に出ました。長男で15歳のベンは父に反抗し口もきかなくなっていました。タヒチの西を航行中、悪天候に見舞われ帆をたたもうとすると浅瀬に座礁、そのショックで重いマストが父親の左足の上に倒れました。出血であたりは赤く染まり、パニックになった母は主に祈り、自分の非を夫に詫びました。息子のベンも自分勝手だった事を謝りました。大波が来て船が流されたなら沈没するだろうと父は予測、自分を残して救命ボートで逃げるように命じましたが家族は従いません。10数時間後、救助が来て、父親は片足は失いましたが一命は取りとめました。
 家族のみんなが、それぞれ、自分の悔いを真実に語り合った時、家族は再生の道を歩み始めたのです。

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり」(22節)
「私は二心の者どもを憎みます。しかし、あなたのみおしえを愛します。」(詩篇119:113)

→あなたの番です
□人の評価より、神に聞き従うことを優先しよう
□何度裏切られても、神はあなたを愛してる
□悔いる心は何よりも価値がある