第1サムエル13:1~23 待てなかった人


 映画でこんな場面があった。
 男がレストランで待っていた。女が遅れてやって来て、「待った?」と尋ねる。
 男は答えた。「生まれてからずっと、君のことを待っていたよ」

 今日のテーマは、待つということです。


1、迫り来るペリシテ軍の脅威

サウル王と兵士たちは、海岸地域から迫り来るペリシテ軍の脅威にさらされ、ヨルダン川に近いギルガルまで退避(第1サムエル13:7)していた。敵の数は、実数より多く感じられ、まるで海辺の砂(5節)のように思えた。

イスラエル兵士はペリシテ軍を恐れ、次第にサウル王のもとから去り始めた。普段なら、サウル王のもとに2000人の兵士(2節)がいたが、600人(15節)しか残っていない。
おまけに、イスラエル軍の装備は貧弱で、鉄の武器はサウルやその息子ヨナタンがだけが持ち、兵士の装備は棍棒や農機具程度だった。(19~22節)


2、サウルの葛藤

サウル王は、二つのことを逡巡していた。
祭司で預言者であるサムエルを待つべきか。
来なければ、王である自分が、いけにえをささげるべきか。

サウルは、サムエルが定めた七日間、待った。だが、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。(8節)

待つこと。それは、実に困難な仕事だ。

サウル王は、山のごとく、不動の態度でいたらよかった。神を信頼して、待てばよかった。私は神を信じて待つ。主は必ず勝利を下さる。そう言って待てばよかった。神にとって、見方の人数が少数であろうと、敵が大軍であろうと、関係ないことだ。勝利の鍵は主が握っている。

サウルは時間が過ぎるのを待った。だが、主を待ったのではなかった。


3、待てなかった人

そこでサウルは、「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持って来なさい。」と言った。こうして彼は全焼のいけにえをささげた。ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来た。サウルは彼を迎えに出てあいさつした。(9~10節)

サウルは、①民が離れる、②サムエルが約束の日に来ない、③ペリシテ人が集結している、④いけにえと祈りをせずに戦えない(11~121節)、と自分の行為の正当化をした。
サウルは自分の問題点を認めたり、謝ったりしませんでした。彼は、15章でも同じ失敗のパターンを繰り返します。

自分の失敗を謝罪しないで、言い訳をする人はとても多い。サウルもその一人だ。自分が選んだのに、回りの人のせいにしました。環境のせいにしました。
アメリカでの遅刻理由のトップは交通渋滞でしょう。でも、渋滞のせいですか。その道はその時間に必ず渋滞するのを知っていましたね。遅れたのは、自分のせいですね。

サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。」(13~14節)

サムエルの叱責ポイントは、「主が命じた命令を守らなかった」ことで、二度繰り返されている。サウル王は、主から命じられていた事に背いたのです。環境のせいでも、人のせいでもないのです。


待つというのは人間の営みにとってとても大切な行為です。

・主を待つとはどんな意味ですか?
・あなたが主を待ち望んでいると、何が起こりますか?
・誰かの中で、何かが起こるのを待つ必要がありませんか?
・消極的に何もしないことと、主を待つことは同じですか?
あなたは何を待ち望みますか?

 私は息子が小さい時、キャッチバールを教え、バットで打つことを教えました。幼稚園児の息子はまっすぐボールを投げられません。だから、私のほうがボールを追いかけて走り回りました。うまく打てないと息子はイライラします。だから、私は、息子のタイミングで、バットを振る場所にボールを投げてやりました。
 私は、息子が上達するのを待っていました。息子はそれを知りません。息子はただ、その瞬間をエンジョイしていました。

 私たち人間は確かに待ちます。でも、本当は、主が私たちを待っているのです。主は、私たちが成長するのを待っています。私たちに最適な時を待っておられるのです。

 待つことは、忍耐を養います。
 待つことは、獲得する喜びを増やします。
 待つことは、本当に大切なものを見極められます。
 待つことは、謙虚な気持ちをもたらします。
 誰かを待つことは、思いやりになります。
 主を待つことは、生ける主を信頼することです。

私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。(ローマ8:24~25)

「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」(ハバクク2:3~4)

「待ち望め。主を。雄雄しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」(詩篇27:14)


→あなたの番です
□主を待とう