第1サムエル17:34~54 ダビデとゴリアテ


 人生には戦うべき時があります。ダビデから勝利の秘訣を学びましょう。

1、戦うと決意する

ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。(第1サムエル17:4~5)

 エルサレムから南西27キロの地点でペリシテ人とイスラエル人がにらみ合っていました。
 ゴリアテはペリシテ人の代表戦士で身長2メートル60センチ以上の大男、イスラエル兵は彼を見て戦意喪失し(11節)ていました。ペリシテ人は心理戦に持ち込み、戦わずに完全降伏を引き出す作戦に見えます。

 サウル王は、40日間(16節)手も足も出ません。サウルもイスラエル兵も自分以外の誰かが戦うことを願い、まるで他人ごとです。

ダビデは、兄たちに食料を届けに戦場に来た時(17~23節)にゴリアテを見て、私が戦うと心に決めました。

この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。(26節)
ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」(32節)

 人生には戦うべき場面がやってきます。我慢しても悪化する、逃げていては解決がない、大切な人が苦しむのは見ていられない。そんな時は、前に出て戦いましょう。

 子供に何か問題が起きた時、たいていの父親は「お前のせいだ。家庭のことはお前に頼んでおいたのに」と妻のせいにします。子供や妻の問題でなく、自分の問題なのだと、自分の戦いなのだと自覚すると道は開けます。

 日本の環境省の文書によると、森で熊に会ったら走って逃げるなと警告しています。熊は時速40キロで走れるし、逃げるものを追う習性があるからです。人生でも逃げると負けます。戦いを自分で引き受けたなら、勝ったも同然です。

 あなたにとって、ゴリアテとは何ですか。もしかしたら、今、戦う時かもしれません。



2、自分らしく戦う

 戦うと決めたなら、次は戦い方が問題になります。
 ダビデは自分らしく戦いました。人まねをせず、自分の強みを出すことが、自分らしさです。

ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主があなたとともにおられるように。」(37節)

 ダビデは羊飼いをしている時、ライオンや熊と戦い勝利しました。今まで、救って下さった主は、今度も救って下さる。過去の主の助けを基盤に、この戦いも勝利できると考えることが、ダビデの強みでした。それが彼の信仰でした。

サウルに鎧を貸してもらいましたが重すぎて脱ぎました。その代わり、羊飼いの杖と石投げを手に持ちました。それは、使い慣れた道具です。なめらかな石を皮に包み込み、ぐるぐると振り回し遠心力をつけ投げます。
 
自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた。(40節)

 ゴリアテの兜や鎧に隙はありません。ですが顔だけは無防備でした。
 格闘技でも球技でも、敵のペースに支配され、自分らしさを封じられると何もできずに敗北します。だから、自分らしさを出せるなら勝利できるのです。

 あなたらしく戦いましょう。あなたらしさとは何ですか。
あなたの石投げとは何でしょう。



3、主の戦い

ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」(45~47節)

この戦いが「主の戦い」であるとダビデは自覚しました。これが、サウル王になく、ダビデにある信仰姿勢の違いです。「この戦いは主の戦いだ」というダビデの言葉は、聖書で初めて人の口から出た表現です。「主の戦いとは何ですか。主が戦ってくださる戦いです。主の栄光が表れる戦いです。

ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。こうしてダビデは、石投げと一つの石で、このペリシテ人に勝った。ダビデの手には、一振りの剣もなかったが、このペリシテ人を打ち殺してしまった。(49~50節)

私たちにとって、主によって戦うとは何を意味しますか。祈ること。誰かに祈ってもらって戦いに臨むこと。聖書の言葉を励ましとすること。主から勇気をもらって、実際に行動すること、です。

 ヘミングウェイの小説「老人と海」は、年寄の漁師サンチャゴが小舟で海に出て3日3晩かけて大きなカジキを釣るという物語です。命がけで捕えたその獲物に襲い掛かかるサメを撃退した後に漁師は独り言をいいます。Man is not made for defeat.(人間は負けるようには造られていないんだ。)

 私たちも同じです。負けるために生まれたのではありません。自分の戦いなのだと自覚し、自分らしく戦い、主の力を頂いて勝利する人生としましょう。


 「万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」(45節)
 「主はおまえを私の手に渡される。」(46節)
 「この戦いは主の戦いだ。」(47節)

 あなたが戦う時です。自分らしく、主のために、主の助けによって戦いましょう。主はあなたに必ず勝利を与えて下さいます。

 
 →あなたの番です
  □私が戦うと心に決める
  □自分らしく戦う
  □主によって戦う