第1サムエル26:1~25 主は彼を打たれる


 中学時代、腹が痛くなり医者に盲腸と診断され、すぐ手術になり、数日で退院できました。この経験は、私にとって驚きでしたが試練とは言えませんでした。
 では、試練とはどんなものでしょう。

1、繰り返すから、試練

ジフ人がギブアにいるサウルのところに来て言った。「ダビデはエシモンの東にあるハキラの丘に隠れているではありませんか。」そこでサウルはすぐ、三千人のイスラエルの精鋭を率い、ジフの荒野にいるダビデを求めてジフの荒野へ下って行った。サウルは、エシモンの東にあるハキラの丘で、道のかたわらに陣を敷いた。一方、ダビデは荒野にとどまっていた。ダビデはサウルが自分を追って荒野に来たのを見たので、斥候を送り、サウルが確かに来たことを知った。(第1サムエル26:1~4)

 ジフ人がサウル王の所まで出向いてダビデが近くに潜んでいると密告しました。サウルは、それを好機とみなし3000人の精鋭と共にダビデ殺害に向かいました。
 ダビデは斥候を送り、確かにサウルが来ていることを確認しました。サウルは、洞窟でダビデに命を助けられた日のことを完全に忘れ去ったようです。

 繰り返すから試練なのです。試練とは、終わりの見えない延長戦です。他人が繰り返すがっかりさせられる事。自分が繰り返す失敗。直らない病気。改善しない人間関係。解決の糸口の見えない悩み。ひと段落ついてほっとしたのもつかの間、また同じ問題で悩まされる。これがダメージを与えるのです。最近、そんな事がありませんか。

私は、最近、左足の親指の爪の周囲が痛いです。割れた爪の横から小さな破片が飛び出し「陥入爪」の状態になり、肉を刺すのでビリッと痛いのです。若い時にも似た経験をしており、爪の手術後に左足は革靴、右足はサンダルで親指に包帯というひどい格好で結婚式にも出席したことさえあります。
今回、「サウル王、また来たか」という感じです。爪がきれいに伸びてくれる日まで痛みは私の生活の一部になりました。

「サウル王、また来たか」という現実に私たちも遭遇しますが、出口は必ずあります。

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(第1コリント10:13)



2、主が打たれる

 アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません。」しかしダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」ダビデは言った。「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」(8~11節)

 ダビデは深夜、部下のアビシャイを連れて、敵軍宿営地のサウルのテントに入り込みました。主は深い眠りを敵軍一同に与えたので、ダビデらは発見されません。
(5~7節)アビシャイは今こそ好機到来、槍の一突きでサウルを殺せますと進言しましたが、ダビデは拒絶しました。
 サウルの寝顔を見て、ダビデは、「主は、必ず彼を打たれる」という確信に至りました。同じレベルの喧嘩から離れ、ダビデは一段高い場所から物事が見られるようになったのです。主がサウルを打たれるという確信の根拠は何も書かれていません。確信は主からやってきたとしか言えないのです。
 私たちが誠実を尽くしても相手に届かない場合は、主が動いてくれます。主からの確信をもらうと怒りや復讐心は霧散します。

 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」(ローマ12:19)



3、誠実に生きる

 主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。主はきょう、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油そそがれた方に、この手を下したくはありませんでした。きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「わが子ダビデ。おまえに祝福があるように。おまえは多くのことをするだろうが、それはきっと成功しよう。」こうしてダビデは自分の旅を続け、サウルは自分の家へ帰って行った。(23~25節)

 もし、ダビデがサウルをその場で殺したら、何が起こるでしょう。ダビデの怒りは解消されますが、3000人の兵士と内戦状態に陥ります。ダビデも同胞のユダヤ人を殺さねばなりません。実は、主にあっては、負けるが勝ちなのです。

 サウルの水差しと槍を持ち帰り、安全な岩の上まで登ったダビデは、サウルの将軍アブネルを呼びつけ、護衛がなっていないと責めました。(13~16節)その後、ダビデはサウル王と直接語り合い、殺す意志の無いことを水差しと槍を証拠に告げました。サウル王は、ダビデの声とその行動に心を打たれ、サウルはダビデを追うことを止めました。

 「主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。」ダビデは、終始、主の前で誠実に行動しました。「私があなたのいのちをたいせつにしたように」ダビデは敵であるサウルの命も大切に扱いました。

 繰り返しの試練の中で、ダビデのように、あきらめない人、誠実な人、温かい人にしていただきましょう。

→あなたの番です
 □先が見えず、繰り返すから試練
 □復讐はしない
 □主よ、しなやかで、温かい心を下さい