第1サムエル25:1~44 アビガイルの機転


 ダビデは完璧な人間ではない。激高すれば、行き過ぎた復讐心を持つ。
 聡明な女性アビガイルは、そのダビデを落ち着かせ、心を主に向けさせた。

1、愚かな男、ナバル

マオンにひとりの人がいた。彼はカルメルで事業をしており、非常に裕福であった。彼は羊三千頭、やぎ一千頭を持っていた。そのころ、彼はカルメルで羊の毛の刈り取りの祝いをしていた。この人の名はナバルといい、彼の妻の名はアビガイルといった。この女は聡明で美人であったが、夫は頑迷で行状が悪かった。彼はカレブ人であった。(第1サムエル25:2~3)

 ナバルとアビガイルの夫婦がカルメルにいた。カルメルとは、預言者エリヤで有名な北部の山ではなく、この場面ではヘブロンに近い山岳地帯を指す。ナバルは家畜を多数保有する富豪だったが頑迷で行状の悪い男で、妻のアビガイルは聡明で美人だった。

ダビデはナバルの羊の群れに危険が及ばないよう保護してきた。羊の毛の刈り取りの季節がやってきたので、ダビデは祝いの言葉を部下から告げさせ、セキュリティー労働に対する見返りをやんわり求めた。(5~8節)これは、ダビデ達が生計を立てる一つの方法だったのだろう。

ナバルはダビデの家来たちに答えて言った。「ダビデとは、いったい何者だ。エッサイの子とは、いったい何者だ。このごろは、主人のところを脱走する奴隷が多くなっている。私のパンと私の水、それに羊の毛の刈り取りの祝いのためにほふったこの肉を取って、どこから来たかもわからない者どもに、くれてやらなければならないのか。」(10~11節)

ナバルはダビデを逃亡奴隷にたとえて罵倒、受けた恩を完全に無視した。それを伝え聞いたダビデは怒り、400人の部下を率いてナバル討伐に出発した。(12~13節)ダビデは完璧な人ではなかった。復讐の鬼と化したダビデを誰も止められなかった。

ナバルは男の典型だ。ナバルを鏡として自分を振り返ろう。人を見下していないか。感謝する心を持っているか。平和を作ろうとしているか。

ダビデもまた男の典型だ。思慮深く、主に頼っていたダビデだが、メンツをつぶされれば激怒する。怒りが沸騰すると、復讐の鬼となる。あなたは今、怒っていないか。あなたの大声が、周囲の人に恐怖を与えていないか。怒りの持って行き場所を間違えていないか。

器の大きな人間になろう。受けて立つのが横綱相撲だ。


2、聡明な女、アビガイル

 アビガイルは牧童から事の顛末を聞いた。(14~17節)彼女の聡明さは、問題解決能力と他者に主を見上げさせる信仰姿勢に表れている。

1)解決力

 そこでアビガイルは急いでパン二百個、ぶどう酒の皮袋二つ、料理した羊五頭、炒り麦五セア、干しぶどう百ふさ、干しいちじく二百個を取って、これをろばに載せ、自分の若者たちに言った。「私の先を進みなさい。私はあなたがたについて行くから。」ただ、彼女は夫ナバルには何も告げなかった。(18~19節)

多くの人は、起きてしまった過去の問題を嘆き、他人や自分や運命を責め、身動きが取れなくなる。けれどもアビガイルは未来に焦点を当てて行動した。つまり、問題が解決した時のイメージを持っていたのだ。用意した食料がダビデの期待したセキュリティー請負費に見合うものとなり、ダビデが満足している様子が見えていた。

アビガイルはダビデを見るやいなや、急いでろばから降り、ダビデの前で顔を伏せて地面にひれ伏した。彼女はダビデの足もとにひれ伏して言った。「ご主人さま。あの罪は私にあるのです。どうか、このはしためが、あなたにじかに申し上げることをお許しください。このはしためのことばを聞いてください。」(23~24節)

「あの罪は私にあるのです。」アビガイルは、問題を夫のせいにしなかった。自分の問題として主体的に引き受けた。剣を帯び、殺気立った兵士らの前にひれ伏すアビガイルは見事です。

解決力とは何でしょう。問題の本質を見抜く洞察力、未来志向、主体性、具体的な行動、他者に助けを請う謙虚さ、勇気、これらの総和が解決力です。アビガイルは、ちょっと「できすぎ君」かもしれません。平均的な人間とは、弱さを抱え、意気地なしで、後ろ向きです。私もその一人です。

シャルル・ペローという人を知っていますか。フランスの物語作家で、「眠りの森の美女」や「美女と野獣」などの作者です。「愚かな願い」という話はペローの作で、こんな筋書です。
貧しい木こりの夫婦がいました。一本の木を切り倒さなかったことで、妖精が3つの願いをかなえると約束しました。奥さんが「大きなソーセージが食べたい」とつい口に出すと、見たこともない大きなソーセージが現れます。夫がそれを見て怒り、愚かな願いをしたもんだ、そんなソーセージはお前の鼻にくっついたてしまえと言いました。3つ目の願いは、それを元に戻して下さいというものでした。
この木こりの夫婦は、ごく普通の夫婦です。もし、夫が怒らずに、一緒に楽しくソーセージを食べて楽しみ、二つ目の願いは夫が考え、3つ目の願いを二人で話し合えば良い結果になったはずです。

アビガイルほとのスーパー聡明な人にはなれませんが、少し忍耐を持ち、主から知恵を与えて頂けば、打開策はあるはずです。あきらめないで、主に期待しましょう。

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)


2)人の心を神に向ける

アビガイルは、激高しているダビデを冷静にさせ、神を見上げる心を取り戻させました。ここに彼女の聡明さが表れています。

 今、ご主人さま。あなたが血を流しに行かれるのをとどめ、ご自分の手を下して復讐なさることをとどめられた主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。(26節)

「ご自分の手を下して復讐なさることをとどめられた主は生きておられ」とアビガイルは語りました。プライドを傷つけられたダビデは残虐な復讐をする可能性がありましたが、神がそれを止められたとアビガイルは述べました。アビガイルが止めたのではないと言うのです。

どうか、このはしためのそむきの罪をお赦しください。主は必ずご主人さまのために、長く続く家をお建てになるでしょう。ご主人さまは主の戦いを戦っておられるのですから、一生の間、わざわいはあなたに起こりません。(28節)

「主の戦い」という言葉は、ゴリアテに戦いを挑んだダビデが使った言葉(17:47)でした。個人的復讐は主の戦いとは呼べず、神に油注がれた王の汚点となります。「むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。」(31節)
こうしてアビガイルは、ダビデの心を落ち着かせ、主に目を向けさせることができました。

 有名なプロゴルファーが長いスランプを経験し、優勝から遠ざかったことがありました。奥さんは、夫のために祈り、みずからが悔い改め、その心が夫に伝わるようになり、7年たって復活の勝利を夫婦で勝ち取りました。

 あなたの身近な人がスランプを経験し、落ち込んだり、怒っているかもしれません。主はあなたに忍耐と知恵を与えて、あなたの祈りと存在を用いて、その人の心を主に向けさせてくれます。とても難しい働きですが、主が共におられれば可能です。



3、ナバルとアビガイルのその後

 ナバルは翌日、酔いがさめた時にダビデの襲撃の話を聞き、心臓発作か脳梗塞か分かりませんが、石のように倒れ、10日後に死にました。(36~38節)
ダビデは既にアヒノアムという妻がいましたが、アビガイルとも結婚しました。(39~44節)未亡人のアビガイルを保護するため、また、多数の家畜や資産がダビデ一行の経済基盤を支えると考えたのかもしれません。
ヘブロンに安定した地盤を得た後にダビデは、マアカ、ハギテ、アビタル、エグラなど複数の妻を持ちます。ダビデの夫婦関係は私たちの手本にはなりません。戦国時代の武将のように、縁談が近隣諸国との安全保障に貢献するという面はあったでしょうが、王が多数の妻を持つことは申命記17:17で禁じられており、後にダビデの家庭問題の火種となりました。

 さて、アビガイルに戻りましょう。
聡明さとは行動です。状況を俯瞰し、人の心を読み取り、自分ができる最善を絞り込み、主に信頼しつつ勇気を持って主体的に動き、他者に主を見上げるきっかけを与える事が真の聡明さです。
聡明さを与えて下さいと祈りましょう。

神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(第1ペテロ5:10)

→あなたの番です
 □怒りは汚点を作ります。怒りを静めましょう
 □主を見上げて、問題解決に動きましょう