コロサイ3:15 感謝の心


 あなたは感謝する人ですか。感謝しにくい人です。

102人の乗客を乗せたメイフラワー号がアメリカに到着したのは1620年11月でした。(1620年と言えば日本では江戸時代です)2か月の困難な航海を終えてやっと新大陸に到着しても、極寒の地で家を建てるのは不可能、船での生活を続けました。翌年の秋にやっと収穫を祝いましたが、最初の感謝祭は単純な収穫感謝にはならなかったと私は思います。なぜなら、冬から春にかけて、乗客の半数は飢えや病気で死んでしまったからです。
感謝とは、すべてがうまく行く時にするものとは違うように思えるのです。

アメリカに住む人は若い頃を思い出して下さい。おばさんから500ドルで譲ってもらった古い車すら感謝したはずです。お父さんという厳しい教官のいない車で一人、フリーウエイを飛ばした日には開放感と大きな感謝に満たされたはずです。

「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」(コロサイ3:15)

 新約聖書には何度も「感謝」という用語がでてきますが、おもに2つの使い方が出てきます。第一に、感謝している状態。第二に、感謝を命じる言葉です。

 パウロは、問題の多いコリント教会のことを覚えて祈る時、感謝していました。(第1コリント1:4)ペテロは、エルサレムで信仰ゆえに捕えられ、釈放されて戻った時に神を賛美していました。主イエスは5000人の人に食べ物を与えたいと願われた時、5つのパンと2匹の魚しかない現実に気づかれました。主イエスがしたことは、感謝でした。(ヨハネ6:11)
 
私たちの人生は、悲しい事、思い通りに行かないこと、疲れきってしまう事の連続です。だから、感謝は簡単ではありません。だから、聖書は感謝しなさいと命じるのです。

ハワイで100歳過ぎのおばあちゃんと話した事を今も忘れません。「長生きしてよかったね、おばあちゃん」と私が言うと、「そうじゃないんだよ、わしよりも先に息子が死んでしまって悲しいよ」と息子の写真を出して見せながら涙をしきりに流していました。

去年の夏、私の父は寝ている間に心臓発作で亡くなりました。知らせを受けた電話口で、私の心が崩れる体験をしました。でも、長期間の入院をしなかった事を感謝できました。

ローマ1:21や第2テモテ3:2を見ると、神を知らない人の特徴が感謝しない事だと分かります。ならば、神を信じている者の特徴は感謝に違いないのです。
本を読んでいて重要なフレーズに出会うとアンダーラインを引きます。感動する言葉に出会うと黄色のマーカーで印を付けます。私たちの人生という本にアンダーラインを引くこと、それが感謝なのです。忘れないようにする作業です。主は生きておられると、賛美する行為です。

私が若い牧師の頃、素晴らしいクリスチャンの女性Nさんに出会いました。Nさんの口癖は、「感謝ね」です。3人の小学生のお母さんで、伝道熱心な方でした。近所の人が悩みを持つと彼女の所に行って話を聞いてもらいました。Nさんは、悩む人の話を残らず聞き、慰め、主イエスを伝え、最後には、相談しに来た人が感謝を見つけて帰ることができました。Nさんが開く家庭集会にはたくさんの方が毎回集まっていました。
そんなNさんが癌になり、つらい治療をすることになりました。入院すると、同室者の仲間にイエスさまを伝え、43歳の若さで天に召されました。今も、私は、Nさんの口癖「感謝ね」を思い起こすと心が温かくなります。

今日は、感謝祭の礼拝です。どんなにつらい一年だったとしても、感謝な事を今3つ見つけて下さい。それは、ちょうど、荒れ狂う川に橋を架ける作業に似ています。人生の悲しさ、辛さという強い流れで翻弄されそうになりますが、感謝すると、それが、明日への希望の橋の橋げたとなるのです。毎日をサンクスギビングに!

→あなたの番です
 □感謝なことを3つ思い出しましょう
 □主に感謝し、身近な人に感謝の言葉を伝えましょう