第1サムエル28:1~25 袋小路のサウル


 人間はどんな時に占いに心引かれるのでしょう。

1、恐れに取り付かれたサウル

ペリシテ人が集まって、シュネムに来て陣を敷いたので、サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。(第1サムエル28:4~5)

サウルはペリシテ人による総攻撃を極度に恐れました。
なぜなら、ペリシテ人が北部から侵略し、背後を突かれた形となったからです。ペリシテ連合軍がシュネムに、サウル率いるイスラエル軍はシュネムより南にあるギルボアに陣を敷く形になりました。

それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、サウルは自分の家来たちに言った。「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」(6~7節)

サウルは主のみこころを尋ねました。けれども遅きに失したのです。サウルを選び、サウルを励まし、サウルに力を与え、サウルを叱責してきた主に向き合うことのなかったサウルを主は見限っていたのです。主に尋ねても、そこに主はおられなかったのです。それでサウルは霊媒の女を通して死んだ祭司サムエルを呼び出そうとしました。

人はどんな時に占いや霊媒師に頼るのでしょう。次の4つの場合です。①自分を知りたい時。②未来を知りたい時。③決断する時の安心が欲しい時。④成功や金という安易な幸福が欲しい時。まことの神を知っている人には占いも霊媒師も必要ありません。

 あなたは、おみくじを買ったことがありますか。仏滅とか大安を気にしますか。雑誌は後ろの方の占い欄から見ますか。今日のラッキーを身につけますか。風水の知識で部屋のレイアウトを変えたことがありますか。占い師に見てもらったことがありますか。占いを本気で信じましたか。占いに支配されたことがありませんか。
 まことの神を知っている人は、占いを必要としません。


2、聖書と占い

 聖書は占いや霊媒を明確に禁じています。

 申命記18:10~12を読みましょう。
「あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。」

民数記23:23
「まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神のなされることは、時に応じてヤコブに告げられ、イスラエルに告げられる。」

科学の進んだ現代社会は、人間を原子の集合体や偶然の産物とみなし、生きる意味を喪失させました。極端な合理主義は振り子の反動を生み出し、占い、霊媒、怪しげなスピリチュアリティー、輪廻、東洋思想などが市民権を得るようになりました。

占いや霊媒、心霊現象との関わりは危険です。オカルトへの接近、悪霊による支配、日常生活からの乖離、占いによる支配などを引き起こします。自分の罪に正直に向き合うことが不可能となり、私たちを愛している神を否定し、神との分離を招きます。こうした事柄との関わりを絶ちましょう。

 パウロは伝道旅行で訪れたピリピで、うらないの霊につかれた女を主イエスの名によって解放しました。(使徒16:18)また、エペソでは、パウロの働きを見て驚嘆した人々が魔術に関係した書物を焼き捨てた事件も記録されています。(使徒19:19)


3、サムエルの予告

サウルは聖書の禁止事項を破り、霊媒の女を使ってサムエルを呼び出しました。すると、「こうごうしい方」(13節)「年老いた方」「外套を着ておられる」(14節)方が現れました。

サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」(15節)

「私は困りきっています。」「私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」(15節)サウルはワラにもすがる思いでした。サウルは、神にではなく、死んだサムエルに助けを求めました。往生際の悪さこそがサウルの生き方の特徴でした。

主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。(19節)

サムエルの答えは残酷な未来でした。サウルが「主の御声に従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかった」(18節)ことが大きなきっかけだと述べました。明日、イスラエルは敗北し、サウルも息子ヨナタンも死ぬと伝えました。

サウルはそれを聞いて棒のように硬直し倒れました。(20節)霊媒女に介護され、食事をし、やっとのことでサウルはその夜遅くに陣地に戻りました。明日は決戦です。袋小路に入ったサウルに逃げ道はありません。これが、主に逆らい、主を無視したサウルの哀れな末路でした。

人生はお花畑を散歩するような安楽な道ではなく、苦難と悲哀に満ちています。辛い時、道を求める時、サウルのような安易な手段に走らず、主イエスと共に歩きましょう。主イエスは私たちを決して離れない方です。だから、恐れの中でも平安を持つことができるのです。

 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」(ヘブル13:5~6)

 →あなたの番です
  □占いや霊媒と関係を持たない
  □神と語らい、神と共に歩む人生を送ろう