ルカ5:27~32 送り出す教会 -迎えるー

 これから「送り出す教会」というテーマで3回のメッセージをお届けします。今日は、その第1回で、迎えるということを考えましょう。

1、主イエスは目を留めた

 小学校の4年生ごろだったと記憶していますが、私は同じクラスのますみちゃんに「教会学校に行かない」と誘われました。髪が長くて、頭が良くて、明るい性格で、ピアノが弾けて、きれいな彼女に誘われてノーと言うはずがありません。喜んで教会に行きました。
 当時の私は、ハンサムで、成績優秀、優しい男性生徒だったので(笑)、私を選んでくれたのだと思います。(思い込みが強いです)

 主イエスが取税人のレビに声をかけて誘った事は驚くべきことでした。

この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。(ルカ5:27~28)

ローマ帝国では、国が税金を集めずに、徴税請負人(プブリカニ)に委託するシステムが全土で行われていました。ユダヤでもそうです。徴税請負人は、いわば民間企業ですから、十分の一税や様々な税金に自分たちの儲けを上乗せして集めました。税金が支払えない場合は徴税請負人が肩代わりし、後に利息を乗せて請求し、払えない一般人は奴隷として売られました。主イエスは、こんな「取税人」を十二弟子の一員にしたのです。

 徴税請負人は、冷酷で情け知らず、卑劣な人間のくず、自分の繁栄しか考えない金の亡者と思われていたことでしょう。ところが、主イエスは、そんな取税人のレビに声をかけました。

主イエスの3つのアクションに注意して下さい。出て行く、目を留める、話しかける。それが主イエスのされたことです。レビが主イエスに興味を持ったのではありません。主イエスがレビに目を留めました。自分の安全地帯から離れて、出ていくことが愛です。自分から目を留めることが愛です。自分から声をかける事が愛です。

神について何も分からず、思い込みが強く、迷信や流行や思想の影響下にあり、罪意識のひとかけらもない取税人のレビでした。でも、そのレビに、主イエスが声をかけたのです。

私たちが主イエスを選んだのではありません。主イエスが選ばれたのです。主イエスが、取税人の私に目を留めて下さったのです。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネ15:16)


2、レビがパーティーを開いた

そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5:29~32)

 主イエスが罪人を招く目的は、「罪人を招いて、悔い改めさせるため」(32節)でした。レビも、罪を悔い改め、主イエスを救い主と信じたので弟子となりました。

 29節の「レビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをした」という記述をに注目して下さい。
 主イエスさまに声をかけてもらって、目が開いて、イエスさまについていくことになり。それがあまりに嬉しくて、感謝があふれて、イエスさまにごちそうしたくなったのです。レビの開催した豪華な自宅パーティーの目的は、主イエスのためだったのです。

伝道とか、あかしとか、誰かを迎える事は、主イエスへの感謝が原動力になってはじめてできることなのです。

 このレビとは、十二弟子のマタイと同一人物です。興味深いことなのですが、十二弟子の名前のリストが福音書に3ヶ所がありますが、マタイの福音書だけが「取税人マタイ」(マタイ10:3)となっています。マルコもルカも遠慮してマタイの過去に沈黙していますが、マタイは自分が主イエスから受けた特別の哀れみを忘れないため取税人としての過去をあえて書き記したのでしょう。
 あなたが自分の名前をノートに書くなら、何と書きますか。「取税人マタイ」の取税人の箇所にどんな言葉が入りますか。私なら、「ろくでなしの平湯晴彦」「最低の男、平湯晴彦」と書くことができます。でも、そんな私を愛し、救い、新しい命を与え、生きる希望を下さった主イエスにお礼がしたいです。主イエスにお礼のご馳走をしたいです。



3、私たちのパーティー

 私たちも主イエスと同じようにしてみましょう。身近な誰かのところに出て行きましょう。目を留めましょう。言葉をかけましょう。
 レビと同じようにすることもできます。誰かを招いて、一緒に食事をしましょう。相手の悩みを親身に聞き、心を通わせ、自分を救ってくれた主イエスを紹介しましょう。

 誰に目を留めたら良いのでしょう。2つのタイプの人とは自然に語り合えます。
 ①あなたに似ている人。②あなたが具体的に助けて応援できる後輩。

あなたに似た人とは、年齢が近い、境遇が同じ人です。男性なら男性に、女性なら女性を招きましょう。異性への伝道は止めましょう。混乱と誘惑を作るだけですから。レビは、自分に似ている人、つまり、同業者の取税人や世間から後ろ指を指される罪人を招きました。

 あなたが何かを先に経験しているなら、これからそれを経験する人を具体的に助けたり支援したりできますね。あなたが、アメリカで結婚した人、アメリカで出産した人、アメリカで子供を学校に入れた人なら、最近カリフォルニアに来た親子を助けられます。アルツハイマーの家族をケアしている人、問題のある子を抱えている人、夫婦問題で苦労した人、そういう人は先輩として後輩を励ますことができます。

 さあ、あなたの番です。聖書の言葉を聞いたら、行動してみましょう。祈りのノートに、イエスさまを信じてほしい人の名前を書き入れ、祈り、思い切って食事に誘いましょう。
 あなたがレビになる時です。

 →あなたの番です
 □私も「取税人マタイ」です
 □私を救ってくれてありがとう、と主イエスに心から感謝する
 □似ている人や後輩を食事に招いてみましょう