詩篇41篇 病の床で


 詩篇1篇の冒頭は「幸いなことよ」、詩篇41篇も「幸いなことよ」でスターしています。それで、詩篇第一巻(詩篇1~41篇)の基本テーマが<幸いな人生>だと分かります。
 今日の詩篇41篇は、さらにもう一つ、幸せになる道を教えてくれます。

1、もう一つの幸いな人生

幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。(詩篇41:1~3)

 弱っている人に心を配ることが、もう一つの幸せなのです。弱い人に心を配っていると、私たちが神の姿に近づいていきます。弱い人たちの辛さと喜びを自分の事のように感じる時、造り主の姿に似てくるのです。その時、神の平安と優しさがあなたをおおってくれます。

 敬愛する杉村牧師は、ヨセミテを愛する山男です。60歳半ばの女性がヨセミテのハーフドーム登頂を希望したので先生は徹底してサポートすることにしました。危険な鎖場で頂上をアタックする頃には彼女の体力消耗が激しく、鎖に安全綱のフックを掛けながら上るので普通の人の何倍も歩みが遅くなりました。見知らぬ登山者たちは「気をつけて上ってくださいね」と皆優しく声をかけて、彼女を思いやってくれました。登頂を果たした彼女は大喜びでしたが、杉村牧師は彼女を支えることができた喜びかみしめていたことでしょう。

 あなたの周囲の「弱っている人」は誰ですか。赤ちゃんや子供。体や心の弱さを持つ年配の方。精神のバランスを崩しやすい人。病気や怪我の人。今、弱っている人に心を配っているなら、あなたは幸いです。主はそういう人が困難に陥った時に主は助けてくれます。その人が病気になった時に支えて下さいます。

あなたの周囲にいる弱い人や病んでいる人のいやしのために、今、祈りましょう。あなた自身が弱さの中にいるなら、助けを求めて祈りましょう。


2、三重苦のダビデ

 私は言った。「主よ、あわれんでください。私のたましいをいやしてください。私はあなたに罪を犯したからです。」私の敵は、私の悪口を言います。「いつ、彼は死に、その名は滅びるのだろうか。」たとい、人が見舞いに来ても、その人はうそを言い、その心のうちでは、悪意をたくわえ、外に出ては、それを言いふらす。私を憎む者はみな、私について共にささやき、私に対して、悪をたくらむ。「邪悪なものが、彼に取りついている。彼が床に着いたからには、もう二度と起き上がれまい。」私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。(4~9節)

 悩みというものは、一つの悩み事が原因になる場合もありますが、往々にして、悩みが重なることにより苦悩が深まるものです。ダビデは三重苦の中にいました。第一に、ダビデは重症の病気にかかりました。それで、肉体的な痛みや不快感と将来への不安が押し寄せました。第二に、罪意識です。自責の念にかられ、取り返しのつかない過去が現在の葛藤を生みました。第三に、親友に裏切られ、煮え湯をかけられました。

 ヨハネ13:18で主イエスは9節の言葉を引用しておられます。パンを分け合ったほどの親しい弟子たちに裏切られることを予告され、それは実現しました。

 ダビデが弱り果てた時に、悪意を持つ人々が見舞いに来て、外で辛辣なことを語り、ダビデを苦しめていました。
 あなたは、今、病気ですか。それに別な悩みが加わりましたか。ダビデのように苦しんでいますか。小さな思い煩いが増えるだけで、私たちの心は複合的にダメージを受けます。
 


3、立ち上がらせて下さい

しかし、主よ。あなたは私をあわれんでください。私を立ち上がらせてください。そうすれば私は、彼らに仕返しができます。このことによって、あなたは私を喜んでおられるのが、わかります。私の敵が私に勝ちどきをあげないからです。誠実を尽くしている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。アーメン。アーメン。(10~13節)

 瀕死の状態のダビデですが、濃霧を切り裂くフォグランプの光のように、ダビデは主のあわれみを願いました。自力で立ち上がれないので、主に起こしてもらい、立ち上がろうとしました。「主よ。あなたは私をあわれんでください。私を立ち上がらせてください。」NIVでは、But may you have mercy on me, Lord; raise me up, that I may repay them.となっています。

Raise me up. 立ち上がらせて下さい。普通、立つとは誰にとっても簡単な事です。でも、それができない時は衰弱し切った時です。
Raise me up. 主に願いましょう。立たせてくださいと祈りましょう。主のために立たせてもらいましょう。あなたが立てるようになったら、弱っている人に手を差し伸べましょう。

星野富弘さんは、24歳の時に体操の事故で脊椎損傷になり、首から下が動かなくなり、寝たきりになりました。口に絵筆をくわえて、詩と花の絵を描くようになり多くの人に知られるようになりました。
ハワイで詩画展を開催した時に、星野さんもハワイに来られ、体調の調整日と日曜日が重なったので、私は星野さんの滞在していたホテルを日曜午後に訪ね、星野さんと二人で礼拝をささげたことがありました。星野さんはベッドに横たわり、私のつたない言葉を厳粛な面持ちで聞いて下さいました。私は星野さんの無言の姿から大きな励ましを頂きました。
有名になる前、先が見えない頃、寝たきりの星野さんを見舞った人々がいました。その人達は、聖書の言葉を携え、希望を伝え、祈りをささげ星野さんを励ましました。そして、今、星野さんは寝たきりのままで、多くの人達を励ます人になっています。

 「しかし、主よ。あなたは私をあわれんでください。
私を立ち上がらせてください。」(10節)

 →あなたの番です
  □弱っている人に心を配ろう
  □あなたが弱っているなら、立ち上がらせて下さいと祈ろう