創世記1:1~31 天と地と人


 教科書を読むと、世界は偶然にできたと書いてあります。創世記は、神が天と地と人を造ったと言っています。どちらが信頼できますか。

 日常生活では、誰も<偶然>に信頼を置きません。ラジコンカーの材料とネジとタイヤと電池とコントローラーを段ボール箱に入れ、1時間揺すったらラジコンカーができたと私が言ったら、あなたは信じますか。2年間揺らしたら完成しますか。20億年続ければ出来上がりますか。仮に完成したとしましょう。その後、誰も手を触れないのに、ラジコンカーが動き出し、コースを外れることなく高速で走行を続けていると私が言ったら信じてくれますか。もっともっと複雑で、調和が取れて美しく、その上、自律している自然が偶然にできたのでしょうか。

 ところで、生物の教科書に載っていたミラーの実験を覚えていますか。地球の原始大気中を再現し放電するとアミノ酸が生成されたという実験です。1995年の『サイエンス』誌はミラーが想定した原始大気が間違っていたとして、この実験の科学的価値を否定しています。ご存じでしたか。
 ヘッケルの胚の図を覚えていますか。生命発生初期の生物には外見的類似性があるという、オタマジャクシが並んだような図で、進化論の証拠として取り上げられていました。ところが、この図はヘッケルによる作為ある捏造でした。実際の胚は図とは違う姿だったのです。著名な進化論者グールドでさえヘッケルの胚の図を指して、教科書の編纂責任者は恥を知るべきで、これは学問上の殺人に等しいとまで言っています。ヘッケルの図に化学的価値はありません。
 なぜ、今なお、こうした記述が削除されないのでしょうか。
 

1、神は天と地を創造された

 創世記1章ははっきりと語っています。知恵と愛に満ちた人格的な神が、注意深く、段階的に、天(宇宙)と地(地球と生物)と人間を造ったと。だから、宇宙と地球と生物には安定と調和があるのです。偶然ではありません。

そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。(創世記1:3~5)

科学の黎明期の17世紀頃、科学者達は創世記1章を笑いました。最初に光があったと聖書が言うが、おとぎ話にすぎないと。天文学と科学技術が進み、宇宙の始まりはビッグバンによるという理解が大勢を占めた今、人々は聖書を驚きの目で見るようになりました。

アメリカの天文学者ロバート・ジャストローは、「創世記についての聖書の記述と天文学の説明とでは、細部は異なっていても本質は同じである。すなわち、人間に至る歴史は、ある特定の瞬間、まったく突然、光とエネルギーの一瞬の炸裂に始まったのである。」ジャストローはクリスチャンではなく不可知論者です。

創世記1章は、神が6日間で宇宙と世界を造られた事が極めてシンプルな言葉で書かれいます。また、神の創造のみわざには段階があったことが分かります。
光(3~5節)、水(6~8節)、陸地と海と植物(9~13節)、太陽と月と一日と季節(14~18節)、魚と鳥(20~23節)、動物と人間(24~31節)。
まず、計り知れないエネルギーの放出、光や空間の設定、無機物の生成などが行われ、生物に必要な材料が用意されました。植物に命が与えられ、春夏秋冬、一日24時間のサイクルが整えられ、やがて魚、鳥、地上の生物が地球の隅々にまで現れました。

地球より太陽に近い金星は90気圧の大気と400度の高熱のため生物生存は不可能です。地球の外側を回る火星は寒すぎる事と希薄な大気と95%が二酸化炭素のため生物は生きられません。地球は70%を海で覆われている奇跡のような星で、窒素78%、酸素21%、二酸化炭素0.04%という大気は生物には理想的な環境です。創世記によると、植物の創造は他の生物に先立っており、光合成による二酸化炭素の減少と酸素の放出に貢献しています。

ケンブリッジ大学のブランドン・カーター物理学教授は、「物理学において、恣意的かつ無関係に見える定数のすべては、生命体の誕生が可能な宇宙であるために必要な数値と正確に一致するという、奇妙な一つの共通項を有している。」と述べました。つまり、宇宙や自然の法則が偶然にできたと見るよりも、誰かにより適切に調整されているとしか見えないというのです。

たとえば、地球の軌道がハーレー彗星のような楕円軌道であったならば、極端な温度変化のため生命は生きられません。地球は安定した円軌道で太陽の周囲を回っています。
また、太陽は広い宇宙の中でもありきたりな恒星に過ぎないと長い間言われてきましたが、最近は異なる認識が深まっています。銀河系の恒星2000億個の中でも、太陽は大きさから言うとトップ10%に入り、その活動や光度が安定しています。恒星全体の80%は太陽より小さい赤色矮星で光度が低く不安定で、紫外線が少なく、その恒星周囲の惑星での生命の維持が困難であると知られています。太陽が5%大きくても、小さくても地球の生物は存在できません。
地球の地軸が23.5度傾いているため、穏やかな四季が生まれました。太陽系の他の惑星と比べると、月が地球にとって大きすぎる衛星であることが分かります。月の存在は地球の自転を安定させ、満潮干潮により海の栄養分を広く移動させる作用もしています。月が存在しないなら、地軸が最大85%も傾いたり不安定な惑星になる可能性もありました。太陽系や地球はファインチューイングされています。

 神は、6日間という段階を経て注意深く天と地を造られました。



2、神は人を創造された

 神による天地創造がある一点を目がけて進んでいることに気づきます。それは人間の創造です。創造の過程で、神はそれを見て良しとされた、とあります。(25節)人間を造られた後には表現が変わりました。「見よ。それは非常に良かった。」(31節)神は、人間のために舞台を設定されたのです。

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(26~28節)

 他の動物と人間の創造には大きな違いがあります。人だけが、神のかたちに造られました。私たちは、神を元にして造られた存在で、神に似ているというのです。男女に何の差別もありません。男も女も神のかたちに作られました。

 神のかたちとは何でしょう。
 それは、まず人格です。私たち人間は自意識を持っていて、自分は自分であり他の生物とも他の人間とも違うと自覚できます。これが人格です。神は人格を持ったお方で、私たちにも「私」をいう意識を与えて下さいました。
 神は知識を持つ方なので、私たちも知識を持つ者とされました。新しい物を作ったり、新しい発見をしたりする創造性も神のかたちの一つです。美しいものにあこがれ、美しいものを作り出せる事も神のかたちです。
 愛は自発的な行為です。私たちが誰かを愛すのは、私たちが神のかたちに造られたからです。神が愛の方だから、私たちも愛を知ったのです。
 私たちが正義や公正や真実を大事にするのも、神のかたちのゆえです。
 私たちには自由があります。神に逆らい冒涜できるほどの自由を神からもらいました。生物には本能があるだけで自由はありません。

 フランス映画で「もう一人の息子」という映画があります。18歳のユダヤ人青年が兵役検査の際に自分が両親の子供でないと知って愕然とします。湾岸戦争時の病院で彼は生まれましたが、パレスチナ人の赤ちゃんと間違えられ、それぞれの両親が知らずに育てたという筋書きです。憎み蔑視していた民族の血が自分に流れていることは否定できない事実でした。青年二人は出会い、それぞれの両親も対面し、人生が変えられていくという映画です。

 私たちの体の中には、どんな検査機器でも読み取れない魂のDNAとでも呼べるものが流れています。神のかたちにつくられた、というDNAです。

 私もあなたも神によって造られたのです。
 体の奥深くに神のかたちがくっきりと刻印されているのです。

 だから、私たちは嘘をついたら良心の呵責に悩まされるのです。愚かな事をしたら空しくなるのです。正しく生きたいと切望するのです。損しても真実でありたいと願うのです。愛する人のためなら命さえ投げ出すのです。

 神をあなたの神と認めましょう。そして、神と共に生きていきましょう。人間らしく生きるというのは、自暴自棄になったり、自己中心になることではなく、神の姿に近づく生き方なのです。今週、あなたの中にある<神のかたち>を大切に生きてみましょう。

→あなたの番です
  □神に造られたことを感謝する
  □神のみこころを行いましょう