創世記4:1~26  神なき文化


 あなたの若い頃の写真を誰かに見せて下さい。きっと笑われます。何が面白いのかというと、ファッションが古くて髪型が古いのです。最先端の流行であればあるほど、後で笑われます。私たちはいつの時代に生きていてもその時代の文化の影響から逃げられません。
 
 創世記4章には、人が増え、町ができ、文化が生まれた事が書かれています。ただし、その文化の背景に問題が潜んでいました。

1、怒り

人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言った。彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。(創世記4:1~5)

 アダムとエバに二人の息子が与えられました。子供は作るものではなく、主によって与えられるものです。神との関係が切れ、夫と妻が仲たがいし、それを見て育った子供がひねくれて、最後には兄弟を殺すことになりました。負の連鎖が始まり、もう誰も止められません。

 弟アベルは、貴重な羊の初子の中から、それも最上のものを選んで神にささげました。アベルは神と共にいることを喜んでいたので、その心がささげ物に反映しました。一方カインのささげものについては同じような言及がないことから、おそらく形式的なささげものだったのでしょう。アベルのような心が欠如していました。
弟のささげものだけが神の目に留まったことでカインは怒りました。神はノット・フェアで、私が正しい。自分の怒りが正当で他者が悪いと決め付ける態度は、3章のアダムとエバそっくりです。自分の心を冷静にふり返れば、神に対する尊敬や感謝に欠けていたと気づくはずでした。
カインの様子を見て、「罪が戸口で待ち伏せ」(7節)ていると神はカインに警告しましたが、それを無視し、カインは弟アベルを野原に誘いこみ、計画的に殺しました。(8節)殺害後も、「私は、自分の弟の番人なのでしょうか」(9節)と反省を示しません。

あなたは、いつも怒っていませんか。それは正当な怒りですか。結局は、神を拒絶していませんか。心で、誰かを抹殺していませんか。低い心にさせてもらいましょう。


2、しるし

それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。(4:12~16)

アダムの罪のゆえに被造物はのろわれましたが(3:17)、今度は逆に、アベルの血を受けた地がカインをのろいます。(3:10~12)カインの労働や農作業は今まで以上に困難になり、アイデンティティーを失った「さすらい人」となり実家を離れました。

カインは自分の行く末を案じ、私は誰かに殺されると(13~14節)泣き言を言いました。神は、信じられないほどあわれみ深い方です。神を怒り、神に背を向け、警告を無視し、弟を殺し、悔い改めもなく、復讐を恐れて泣きつくカインでしたが、神は見捨てません。
神はカインに特別な印を付けて復讐から守られました。どんな印かは分かりませんが神のプロテクションが施されたのです。

私達もカインのように自分勝手で恩知らずです。でも、神の守りが今までも、これからもあります。私たちにの目には見えない愛の印が押されています。



3、レメクの歌

レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダ、他のひとりの名はツィラであった。アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。トバル・カインの妹は、ナアマであった。(19~22節)

 カインは自分の町を建て始めました。(17節)さすらい人としての定めを無視して定住しました。これは神への反逆です。人を殺して反省しないカインの作った町です。カインの思想や態度は子供や孫に引き継がれ、増幅していきました。
 カインの子孫レメクは、カインの1000倍悪い人間になっていました。自分の力だけを頼り、神に逆らう人間の典型となりました。結婚は、一人の男と一人の女が一体となることですが(2:24)、レメクは神のルールにま正面から逆らい二人の妻を持ち(19節)、快楽を肯定しました。
 レメクの息子ヤバル(20節)は家畜を飼う者の先祖となるほど牧畜業に成功します。ここに人間の力だけを頼った富の蓄積が始ります。次の息子ユバル(21節)は音楽家になり、音楽の力を利用して神なしの文化を広めました。もう一人の息子トバル・カインは(22節)鍛冶屋となり当時の最新技術を駆使して農機具だけでなく武器を作成しました。

 レメクには現代文明のすべてがあります。神の否定、神の定めを無視、快楽と富の限りなき追及、自分だけの正義、武力による権力と収奪。23~24節は、長く歌い継がれた古い歌で、ささいな傷を付けられても殺害するレメクの残忍さが表れています。背信と快楽と富と暴力のテーマソングです。

さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」(23~24節)

傲慢で殺伐としたレメクの歌と対照的なのが、アダムの息子セツの子エノシュの祈りです。エノシュは主の名によって祈りました。礼拝を始めたのです。
人間の力や欲望を誇る時代にあって、神を喜び、神に感謝し、神と共に生きる文化を作ったのです。

セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。(26節)

 映画や書籍やテレビやインターネットに現代文明がにじみ出ています。神を礼拝するのは愚かな事で、人間の力だけを信頼し、男女の結婚は古くさい束縛で、富と快楽と権力こそ追及すべきものだと、現代文化は大音量のスピーカーで叫んでいます。

新しい文化を作りましょう。神をたたえ、神と共に生きる文化を創造しましょう。Sherwood Baptist Churchが作った劇場用映画の第一作、「フェイシング・ザ・ジャイアント」などはその一例でしょう。星野富弘さんの詩画や三浦綾子の小説も新しい文化の創造に当たります。

 人の悪口を言わないコメディアン。暴力やセックスを売り物にしない映画やゲーム。結婚まで純潔を守るデート。親と子供たちが手をつないで祈り合う家庭。抑圧と搾取と不平等のない経済。神をたたえる音楽や芸術。その他、あらゆる可能性があります。あなたも、神を信じて生きる文化を作りませんか。

 →あなたの番です
  □怒りを捨てる
  □神を否定し人間を誇る文化を見抜く
  □どこででも主を礼拝し、どんな事柄も祈る