創世記5:1~32 神と共に歩む


 人生は旅客機のようです。一度離陸したら、必ず着陸しなければなりません。アダムの子孫の生き方を通して人生を考えましょう。

1、生きて、死んで

これは、アダムの歴史の記録である。神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名をアダムと呼ばれた。アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。セツは百五年生きて、エノシュを生んだ。(創世記5:1~6)

「アダムの歴史の記録」(1節)とあります。旧約聖書のギリシャ語訳聖書(LXX)ではこの部分がἡ ββλος γενσεωςと訳され、英語ではBook of Genesisとなります。

1~6節を読むと、アダムが神に似せて造られたこと、神に祝福されたこと、アダムーセツーエノシュと神から受けた祝福の流れが引き継がれたことが分かります。兄弟殺しのカインと神に反逆した権力者レメクの流れが語られた4章とはずいぶん違います。

 「~年生き」「こうして彼は死んだ」。これが、8回繰り返されます。彼らの寿命は、930、912、905、910、895、962、969、777歳です。大洪水で地球環境が激変する前のことなので、長寿が可能だったと考える人がいます。神に祝福されたことを表す象徴的な数字と考える人もいます。

 誰かのメモリアルサービスに出席すると、自分も写真の整理をしておこうと思うものです。葬儀で必要な写真は20枚で十分です。正面に飾る一番気に入った写真が一枚、子供時代や学生時代、働き盛りの様子、結婚式、子供や孫との写真などあれば事足ります。

 不思議なもので、誰かが死んでこの地上からいなくなっても、その人の生き方、その人が話した言葉、その人の笑顔、その人から受けた愛や親切は残ります。その人が生きた証しは、古い写真のように色あせるどころか、むしろ鮮やかに記憶に残るものです。

私が5年間礼拝に通ったハワイのマキキ教会にSさんという年配の女性がいました。細身で、控えめで、笑顔のきれいな方でした。バイブルスタディーが終わると、人がまだ部屋にいても照明のスイッチをすぐに切る方で、電気の節約が身に付いた方でした。身寄りのない方だったので、天に召された後はご自分の家を教会にささげる準備をしました。彼女が亡くなると、その家は売却され100万ドルが教会にささげられました。私にとっても、マキキ教会の人々にとっても、彼女は亡くなりましたが、その信仰と愛と献身は今も生きています。

「~年生き」「こうして彼は死んだ」。人は生まれ、人は死ぬものです。あなたの生きた証しを写真にではなく、日常生活に刻みましょう。



2、神とともに歩む人

エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。(5:21~24)

 エノクの地上生涯は365歳で、他と比べるとかなり短い人生でした。ところが他の人にない特徴があります。
「生きて」「死んだ」というフレーズは8回繰り返されましたが、エノクの場合だけ、「生きて」「いなくなった」となっています。新約聖書ヘブル人の手紙では、エノクが通常の形で死んだのではなく、神に<移された>のだと説明し、神から特別な祝福を受けたことが分かります。

「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」(ヘブル11:5)

 「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」(24節)、とあります。死ぬことを喪失と考えるのでなく、別な観点からも考えられますね。神がエノクを必要とされたのでしょう。

「エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。」(22節)
「エノクは神とともに歩んだ。」(24節)

エノクにとっては、息子メトシェラの誕生が、神と共に歩くきっかけになったようです。それ以上詳しい理由は分かりません。何事にもきっかけがあります。もっと、神と近く歩きたい。私たちも、そう決意する時があります。

私は15年くらい、毎晩、妻と手をつないで歩いています。結婚してから、その時までの18年間、そういう習慣はありませんでした。同じ家にいるから、一緒に歩いて来たと思っていましたが、実際はそうではなかったのです。心は離れていました。おもに私に問題がありました。私の心は、妻からも子供達からも離れ、一人でさ迷っていたのだと、後で気づきました。
 意識して、時間を共有しないと、共に歩くことはできないと分かったのです。それで、手をつないで今、歩いています。

 神と共に歩くとはどんなことでしょう。自分でよく考えて、神と共に歩くとはどんな事か、3つくらい考えてください。
 
 神と話す。神から聞く。神を意識する。神の喜びになることを探す。神を大切にする。神への約束を守る。神の嫌われることをしない。神を尊敬する。神を喜ぶ。神に感謝する。神の助けをもらう。神に見てもらう。神の導きに気づく。神を愛す。神の期待にこたえる。神を誇りとする。神に「ごめんない」と言う。人々に神のことを紹介する。日曜礼拝を最も大切にする。毎朝、聖書を読み祈る。

 よく考えてみると、神は私達のそばにおられ、絶えず見守ってくれています。私達が神と手をつなごうと思うことが大事なのです。
 「生きて」と「死んだ」の間が私たちの人生であり、私達のチョイスです。カインやレメクのように、いつも怒って、神に逆らい、自分の欲望追及する道も選べます。エノクのように、神と共に歩み、神に喜ばれる生き方も選べます。意識して、神と共に歩みませんか。
 
 →あなたの番です
  □生きて死んだ証しを残しましょう
  □今週、神と共に歩みましょう