詩篇48:1~14  神の都エルサレム



  エルサレムの歴史を見ると、神が実在することが分かります。
 神の都エルサレムについて48篇から考えてみましょう。

1、神の都、エルサレム

 古来、一国の首都は、合理的な理由があって中心都市として発展しました。たとえば、大きな川や海に面する良い港があった。豊饒な土地。幹線道路。戦略上の要。エルサレムは、そのいずれにも該当しません。川すら流れていないのです。

神はかつてダビデに以下のように言われました。「エルサレムを選んでそこにわたしの名を置き、ダビデを選んでわたしの民イスラエルの上に立てた。」(第2歴代誌6:6)

 48篇ではエルサレムが、「神の都」、「大王の都」、「万軍の主の都」と言われています。つまり48篇の中心テーマは都としてのエルサレムなのです。エルサレムは、神が選び、神が住み、神が守って下さる唯一の都なのです。


主は大いなる方。大いにほめたたえらるべき方。
その聖なる山、われらの神の都において。
高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都。
神は、その宮殿で、ご自身をやぐらとして示された。
見よ。王たちは相つどい、ともどもにそこを通り過ぎた。
彼らは、見るとたちまち驚き、おじ惑って急いで逃げた。
その場で恐怖が彼らを捕えた。産婦のような苦痛。
あなたは東風でタルシシュの船を打ち砕かれる。
私たちは、聞いたとおりを、そのまま見た。
万軍の主の都、われらの神の都で。
神は都を、とこしえに堅く建てられる。(詩篇48:1~8)

 2節と11節と12節で「シオン」という言葉が出てきます。シオンの本来の意味は、要害です。神が保護してくださる都、神が住まわれる要塞なのです。

 4~7節は、エルサレムに進軍した外敵が神によって撃退され敵軍が恐れ惑った様子が描写され、タルシシュ(今のスペイン)方面からの船団も、神の起こされた暴風、東風によって滅ぼされたと書かれています。

 エルサレムが首都として繁栄したのはダビデとその息子ソロモンの時代、つまり紀元前1000年頃のことです。詩篇48篇が書かれた頃は、豪華絢爛なソロモン神殿がそびえ立ち、巡礼者は驚嘆の思いで建物を見上げたことでしょう。
 紀元前586年、バビロンがエルサレムを滅ぼし、神殿を破壊し、ユダヤ人は捕囚となって遠い異国に移住させられました。エレミヤの預言通り、ユダヤ人は故国に帰り、エルサレムを再建しました。後にヘロデ王が神殿を作りましたが、起源70年にローマ帝国により再びエルサレムは破壊され、ユダヤ人は母国を失い流浪の民として世界に散らされました。長い年月、パレスチナの土地は荒れ地のまま放置され、人が住める状態ではなくなっていました。

 ユダヤ人たちは、「エルサレムよ、愛おしい町よ、いつの日かあなたの元へ喜び帰ります」と毎日祈り続けました。

 ところが、1948年、イスラエルが建国されました。1900年も国を失っていた民が国を再興したのです。
 荒地は開墾され、水が引かれ、樹木が植えられ、今では、新鮮なくだものを輸出する国に変貌しました。
 100か国以上からイスラエルに帰還したユダヤ人は、死語となっていたヘブライ語を生き返らせて公用語としました。
 神がエルサレムを特別に守り、ご自分の都とされたのです。

 イスラエルの国歌「ハティクバ」の歌詞は1878年に書かれ、次のような内容です。「われらの心の奥に ユダヤの魂が脈打つ限り われらの眼が東の彼方 シオンに注がれる限り 二千年間我々が育み続けた 希望を失うことはない その希望とは、我々の土地シオン、エルサレムで 自由の民となることである。」

「万軍の主の都、われらの神の都で。神は都を、とこしえに堅く建てられる。」(8節)



2、思いめぐらすと見えてくる

神よ。私たちは、あなたの宮の中で、あなたの恵みを思い巡らしました。
神よ。あなたの誉れはあなたの御名と同じく、地の果てにまで及んでいます。
あなたの右の手は義に満ちています。
あなたのさばきがあるために、シオンの山が喜び、ユダの娘が楽しむようにしてください。
シオンを巡り、その回りを歩け。そのやぐらを数えよ。
その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。
この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。
神は私たちをとこしえに導かれる。(9~14節)

 「神よ。私たちは、あなたの宮の中で、あなたの恵みを思い巡らしました。」(9節)とあります。
 当時のエルサレムの都を歩き、神殿で思いにふけるなら、神の恵みや愛、神の正義や守りをひしひしと感じることができたでしょう。
 神は、エルサレムの歴史を通じても私たちに語りかけておられます。神の愛がある。神の守りがあると歴史は教えてくれます。

 私たち自身とエルサレムに共通点があります。神が選び(ヨハネ15:16)、神が住み(第1コリント6:19~20)、神が守って(ヨハネ17:15)下さるという点です。

 エルサレムを選び、エルサレムを守られた神を知ると、同じ神が今も私たちをも愛し守って下さることが分かります。私たちも、神の愛と恵みを思い巡らしまし感謝しましょう。神こそ、私たちを永遠に守り導かれる方です。

 この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。
 神は私たちをとこしえに導かれる。(14節)


 →あなたの番です
  □エルサレムの歴史は、神の愛と守りを教えてくれる
  □私たちにも神の愛と守りがある。だから恐れない!