詩篇50:1~23  感謝のいけにえ


 Robert Emmons教授が次のような実験をしました。週に一度、感謝な事をノートに書くグループと、嫌だったことを書くグループに分けて、10週間様子を見ました。どんな結果が出たと思いますか。予想通りに、感謝を書いたグループの幸せ度が上がり、病院に行く回数も減少したといいます。あなたは、感謝する人ですか。不平を言う人ですか。

1、神が求める礼拝者

詩篇50篇のアウトランを最初に説明します。神がシオンの都から世界に向って語られた部分が1~7節の序論になります。神をあがめて感謝のいけにえをささげる者であれと語るのが7~15節。神を忘れて罪を犯す者になるなというのが16~23節です。
キーワードは、「感謝のいけにえ」です。

ユダヤ人はモーセの時代から5種類のいけにえをささげていました。全焼のいけにえ、穀物のいけにえ、和解のいけにえ、罪のいけにえ、罪過のいけにえ、です。いけにえは、ヘブル語で「コルバーン」といいます。近づくという意味の動詞「カーラブ」から派生した言葉です。言葉の基本的な意味から考えるなら、いけにえとは、人を神に近づける働きをするものです。

もちろん、神は牛肉のサーロインステーキを欲しているのではありません。(9~13節)そもそも、「世界とそれに満ちるものは」(12節)すべて神のものですから。

感謝のいけにえを神にささげよ。
 あなたの誓いをいと高き方に果たせ。(14節)

感謝とは、何でしょう。すべての良きものは神から来たものと認め、神にお礼を言い、神をたたえることです。
たとえ、悲しみや痛みの中であっても神への感謝を見つけることができます。ヨブが家族や財産を失った時の言葉は、究極の感謝の姿勢を表しています。

「私は裸で母の胎から出て来た。
 また、裸で私はかしこに帰ろう。
 主は与え、主は取られる。
 主の御名はほむべきかな。」(ヨブ1:21)

感謝のいけにえを神にささげよ。
 あなたの誓いをいと高き方に果たせ。(14節)

 14節では、感謝のいけにえと誓いがセットになっています。詩篇56篇や116篇にも同じセットが記されています。

 神から受けた過去の恵みを今の自分が神に感謝すること。それと対になる行為が誓いです。神への感謝が深ければ深いほど、私たちは神のために何かをしたくなります。主よ、今度は私の番です。あなたのために、今度、私はこれをします。それが誓いです。ですから、感謝と誓いは兄弟関係になります。

もし苦難に出会ったなら、神の助けを求めます。神の時に、神の方法で、神は私たちを助け出してくれます。それにより、さらに、私たちは主をほめたたえることになります。

苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。
 あなたはわたしをあがめよう。(15節)

 私は、毎日、感謝な事を最低3つノートに書いています。つまり、一月に90の感謝。半年で500以上の感謝を書いたことになります。昨日、そのノートの半年分を読み返しました。主の恵みの多さに驚き、感謝し、主をあがめました。
 もちろん、半年の間、ワイキキビーチのヤシの木陰でウクレレを弾いているような幸せが続いたのではありません。人並の心配、葛藤、悲しみ、後悔などを経験してきましたが、感謝は500以上ありました。主は生きておられます。主は守って下さいます。主は助けて下さいました。ですから、自然に、主のために生きたいと考えるのです。



2、悪者への警告

こういうことをおまえはしてきたが、わたしは黙っていた。わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ。わたしはおまえを責める。おまえの目の前でこれを並べ立てる。神を忘れる者よ。さあ、このことをよくわきまえよ。さもないと、わたしはおまえを引き裂き、救い出す者もいなくなろう。(21~22節)

感謝しない人は、結局のところ、「神を忘れる者」(22節)になってしまいます。神と自分が「等しい者」(21節)だと錯覚します。感謝しない人は、人からの親切を当たり前と思い、人の思いやりに気づかない人になります。自分の力だけで生きていると誤解します。そして神を忘れる者は、神のことばを投げ捨て、人のものを盗み、性的な罪を犯し、悪い言葉を撒き散らし、家族を無視する行動を取ります。

 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。
 その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。(23節)

 感謝を発見する習慣を身に着けましょう。感謝を人にも神にも言い表す人になりましょう。自発的に主のために何かをする人になりましょう。


 →あなたの番です
  □感謝のいけにえをささげましょう
  □感謝したら、神のために何かをしよう