詩篇57:1~11 御翼の陰


 巷でヒットしている歌は二種類あります。一つは、元気をもらえる歌。ジョギング中に聞きたくなるポジティブな歌です。もう一つは、悲しい歌。私たちの悲しみを言語化してくれる歌で、共感できるし、慰めてくれる歌です。失恋の歌がその代表格です。ダビデの詩篇は、その二つには入らない第三の歌といってもよいでしょう。詩篇57篇は、神への賛美の歌です。
 

1、あわれんでください

 1節から5節。7節から11節。この二つの部分は、よく見ると構造が同じです。1節の冒頭で、「私をあわれんでください」を繰り返し、7節も「私の心はゆるぎません」を繰り返しています。一方、段落最後の5節で、ダビデは「あがめられますように」と神をたたえ、11節でもまったく同じフレーズを繰り返しました。
 6節は、前半と後半の雰囲気ががらりと変わる転換点です。敵がしかけた罠に敵自身が陥ったので、神の御手が感じられるのです。

神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。
私のたましいはあなたに身を避けていますから。
まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。(1節)

 「ダビデがサウルからのがれて洞窟にいたときに」という表題が詩篇57篇に付けられています。若い日のダビデは、サウル王に命を狙われて逃亡し、荒野で洞窟を見つけて住居にしていました。若いダビデは、いらだち、落胆し、将来を嘆いたことでしょう。

 カトリックの礼拝では、「キリエ・エレイソン」というラテン語の歌が歌われますが、その意味は、<主よ、あわれみたまえ>です。1節の言葉は、まさに、神よ、あわれみたまえ、という切なる祈りです。ダビデが自分の弱さや罪深さを認め、このままでは脱出の道がないと観念し、神のあわれみを求めました。雛がめんどりの翼の下に隠れるように、ダビデは神の守りの中に逃げ込みました。

 私は、獅子の中にいます。私は、人の子をむさぼり食う者らの中で横になっています。彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。(4節)

 「滅び」、「踏みつける」、「獅子の中」、「槍と矢」、「剣」、というダビデの言葉が、状況の厳しさを物語っています。ダビデは、ライオンの檻の中にいる気分でした。

 そんな中にあっても、ダビデの信仰はくじけず、むしろ、人間の平地から解き放たれて、天へと向かいました。

 私はいと高き方、神に呼ばわります。
私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。(2節)

 ダビデの神は、第一に、「いと高き方」です。この人間の地平をはるかに見下ろす高みに主はおられます。超越者です。すべてが見通せる方です。
 ダビデの神は、第二に、「すべてを成し遂げる」神です。人間の計画は、あてになりません。神が計画を立てると、神の時に、神の方法で、必ず実現します。

 サウル王に命を狙われて洞窟に追い込まれたダビデでしたが、ダビデの思いは地上を離れ、超越者であり全能者である神に信頼を置きました。

 神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、
全世界であがめられますように。(5節)

 たとえ暗い洞窟にいても、ダビデの賛美は水平方向には世界大の広がりを持ち、世界の人に神を伝えたいという宣教の思いがありました。また、ダビデの賛美は垂直方向に向かい、天を貫いていました。英語部の礼拝で良く歌われる賛美歌でBe exaltedというフレーズがありますが、英語聖書の5節「Be exalted, O God, above the heavens」の歌詞から作られたものです。



2、ゆるぎません

神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。
私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。
私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。
私は暁を呼びさましたい。(7~8節)

 苦難と不安の闇を経験した人は眠れない夜を過ごしますが、ダビデは違いました。最も暗く、最も寒い夜明け前の時刻に、神を賛美しました。琴の名手であったダビデは、たて琴でも十弦の琴でもそこにあれば、思いっきり奏でて歌ったことでしょう。賛美の歌によって朝日を早く上らせたいという気持ちでした。

主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、
国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。
あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。
~11節)

 あなたの恵みは天に及ぶ!この賛美よ天に届け、世界の人々よ主を賛美せよ!暗く寒い朝、洞窟の中で、ダビデが一人で賛美している姿が目に浮かびます。

 先週、洗車屋さんで車を洗ってもらいました。割引サービスの時間帯でとても混雑していました。洗車が終わり、家のパーキングで車を降りると、なんと、運転席のドアノブが壊れて無くなっていました。妻と二人で祈り、主の助けを願いました。そして現場に戻って対処を求めました。アメリカでは、<それは残念でした>と言って責任を負わないことが多いのですが、このお店は良心的で、その日の内に修理を終え3分の2くらいの修理費まで払ってくれました。「ありがとう。また来ますね」と言って私たちは笑顔で帰れました。小さな事でしたが、主は「私たちのために」成し遂げて下さいました。

 さて、あなたの今週、何が待ち受けているでしょう。
 困ったことが起きたら、「いと高き方」、「私のためにすべてを成し遂げてくださる方」に信頼しましょう。洞窟の中に追い込まれたとしても、ライオンの檻に入れられても、将来の見えない夜になったとしても、賛美しましょう。神は御翼を広げて私たちを守ってくれます。

 →あなたの番です 
   □「すべてを成し遂げてくださる方」を信頼する 
   □「いと高き方」を賛美する