詩篇65:1~13  咎が圧倒しても

 詩篇61~64篇は、困難な時にダビデが主を呼び求めた内容でした。65篇から68篇までの統一テーマは<すべての国々よ、まことの神をあがめよ>です。詩篇65篇の鍵になる聖句は、3節、7節、9節です。

1、罪のゆるし

神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。
あなたに誓いが果たされますように。
祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。
咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。
幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。
私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。
(詩篇65:1~4)

 2節に「みもとにすべての肉なる者が参ります。」とあります。聖書で「肉なる者」と言うときは、弱さと罪のある存在としての人間を指します。
私たちがまことの神の前に立つ場面を想像してみましょう。「咎が私を圧倒しています。」とあるように、神のきよさに圧倒されて下を向いて沈黙するしかないでしょう。けれども、神の愛に触れるなら、罪の赦しを体験し、穏やかで満ち足りた静寂へと変わります。

マックス・ルケードは神の愛について以下のように説明しました。もし、神が財布を持っていたら、君の写真を必ず入れているよ。もし、神が冷蔵庫を持っていたら、あなたの写真を貼り付けているよ。
「私たちのそむきの罪を赦してくださいます。」とあります。神は、信じられないほどに愛の深い方です。神にそむく罪を犯す者さえ、赦してくださいます。
罪を赦された人は、自分が神に選ばれた者であり、神によって近寄せられたことに気づき、神の大庭で神を賛美したくなるのです。

神の前に出て、沈黙の時を持ちましょう。罪の赦しを体験し、賛美しましょう。
 

2、騒ぎを静める

私たちの救いの神よ。あなたは、恐ろしい事柄をもって、義のうちに私たちに答えられます。
あなたは、地のすべての果て果て、遠い大海の、信頼の的です。
あなたは、御力によって山々を堅く建て、力を帯びておられます。
あなたは、海のとどろき、その大波のとどろき、また国々の民の騒ぎを静められます。
地の果て果てに住む者もあなたの数々のしるしを恐れます。
あなたは、朝と夕べの起こる所を、高らかに歌うようにされます。(5~8節)

 「あなたは、御力によって山々を堅く建て、力を帯びておられます。」とあります。山々を造る神の偉大な力に触れたならば、私たちは圧倒されるでしょう。実は、標高8850mのエベレストより高い山がハワイにあります。海底の裾野から測れば、ハワイのマウナ・ケア火山は10203mにもなるのです。マグマが海底で噴出し山を形成し、海から突き出て4千m級の山になる場面の映像があったなら、私たちは神のみわざを畏れることでしょう。

 「あなたは、海のとどろき、その大波のとどろき、また国々の民の騒ぎを静められます。」とあります。神は、ベーリング海の吼えたける海のとどろきも静めることができる方です。どこかの国で暴動が起きても、神はそれを静めることができます。
 主イエスがガリラヤ湖で嵐に遭遇した場面を思い出して下さい。詩篇65篇で語られている神の姿と、主イエスの姿がぴったりと重なります。

「湖に『黙れ、静まれ』と言われた。すると風はやみ、おおなぎになった。」
(マルコ4:39)

 まことの神は、驚異的な力、権威を持つお方で、すべてを静めることができるのです。あなたの周囲では何かのトラブルが起きていますか。神は、そのトラブルも静めることができるし、あなたの心の動揺を取り去ることもおできになります。


3、食物の恵み

あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。
神の川は水で満ちています。
あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。
地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、
夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。
あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、
あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。
荒野の牧場はしたたり、もろもろの丘も喜びをまとっています。
牧草地は羊の群れを着、もろもろの谷は穀物をおおいとしています。
人々は喜び叫んでいます。まことに、歌を歌っています。(9~13節)

 パレスチナの気候は私たちが住む南カリフォルニアと同じ気候で、山といえば茶色の禿山です。雨は降らず、慢性的な水不足です。ですが、「あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。」と書かれています。貴重な水は神が与えてくださっているのです。
 「御恵みの冠をかぶらせ」、「地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。」とあるように、水も作物も家畜も人が生きていくために不可欠なもので、それらはすべて神の恵みであり、神の愛の賜物なのです。
私たちの命は神に養って頂いているのです。だから、神をたたえましょう。

 一人の女子中学生がデートの帰りで遅くなってしまいました。娘の帰りをイライラ待っていた父親は、彼女が帰宅したとたん怒鳴りました。不良と付き合うからお前も不良になってしまう、と。大好きな彼を不良呼ばわりされて彼女は怒り、すぐに髪の毛を染めて不良のようになりました。それ以来、娘は父親と口もききません
 娘が19歳になった誕生日に、父親はプレゼントを渡しカードを添えました。あの時は言い過ぎた、父さんが悪かった。お前は私の大事な娘だ。娘はそのカードを見て、涙を流しました。あの時以来、父から愛されていないし拒絶されたと感じていたのです。でも、今、父さんの温かい心に触れて安らかな心になりました。
 親子の間でも、罪の告白と罪の赦しが行われて、心が再び通うことがあります。同じように、咎に圧倒された私たちも神の前に出ることにより、神の愛と赦しを体験できます。そして、神の偉大な力に恐れと尊敬を覚えつつ、命を養って下さる神を賛美することができるのです。

「あなたは、地のすべての果て果て、遠い大海の、信頼の的です。」(5節)

 →あなたの番です
  □心静かに、神の前で悔い改めよう
  □トラブルを静める神に信頼しよう
  □食べられる事、生きていられるのは神の恵みです