詩篇68:1~35 旅の途中は


 イスラエルの歴史を旅の隊列にたとえているのが詩篇68篇です。

1、旅を守られる主

神よ。立ち上がってください。
神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。
煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。
悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。
(詩篇68:1~2)

 1節は、荒野を旅したイスラエルの民にとってなじみ深い言葉でした。モーセが旅の出発を告げる時に必ず発した言葉だからです。「主よ。立ち上がってください。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように。」(民数記10:35)
今の旅行と比べて、昔の旅は危険と隣り合わせでした。だから、神よ、私たちと共に出かけ、守って下さいと祈ったのです。「神よ。あなたが御民に先立って出て行かれ」(7節)

 イスラエルの民は、エジプト→シナイ(17節)→約束の地(9節)→エルサレム(29節)と旅をして行きました。シナイでは、神のおきて=律法を授かりました。神の言葉に励まされた女たちも主の働きをしました。(11~12節)神は旅の途中で、イスラエルの民のために恵みの雨を降らせて下さる方です。

神よ。あなたが御民に先立って出て行かれ、荒れ地を進み行かれたとき、
地は揺れ動き、天もまた神の御前に雨を降らせ、シナイもイスラエルの神であられる神の御前で震えました。
神よ。あなたは豊かな雨を注ぎ、疲れきったあなたのゆずりの地をしっかりと立てられました。(7~9節)

 私たちの人生も旅です。私たちも荒野を進んで行くキャラバン隊です。あなたは、今、どんな旅をしていますか。あなたは旅を楽しみ、感謝していますか。



2、賛美の旅

 目的地に到達することは旅の目的ですが、プロセス、旅の間の毎日の過ごし方もとても大事な事です。イスラエルの人々は旅の間、賛美しました。

神よ。人々は、あなたの行列を見ました。聖所でわが王わが神の行列を。
歌う者が先に立ち、楽人があとになり、その間にタンバリンを鳴らしておとめらが行く。
「相つどうて、神をほめたたえよ。イスラエルの泉から出た者よ。主をほめたたえよ。」
そこには、彼らを導く末子のベニヤミンがおり、その群れの中にはユダの君主たち、ゼブルンの君主たち、ナフタリの君主たちもいる。(24~27節)

 イスラエルの人々が神を賛美する様子が伝わってきます。エルサレムの神殿に向かう人々でしょうか。あるいは、神殿で賛美する人々でしょうか。人々は、神による勝利を喜び、賛美しました。

 イスラエルは国力を増し、都エルサレムが政治や経済の中心地になり、周囲の国々やアフリカの国々が珍しい贈り物や高価な宝を献上に訪れるようになりました。(29~31節)

エルサレムにあるあなたの宮のために、
王たちは、あなたに贈り物を持って来ましょう。(29節)

イスラエルの人々が賛美を続けていると、世界の国々が関心を持ち、いつの日が世界中が主を賛美する日が来ます。賛美は常に宣教的な要素を持っています。

この世の王国よ。神に向かって歌え。主に、ほめ歌を歌え。
昔から、いと高き天に乗っておられる方に向かい、ほめ歌を歌え。
聞け。神は御声を発せられる。力強い声を。
神の力を認めよ。みいつはイスラエルの上に、御力は雲の上にある。(32~34節)

 あなたの旅も、賛美の旅になっていますか。家で、車の中で、仕事場で、あなたの口から賛美の歌を響かせましょう。



3、重荷をになう主

賛美するのは、なぜでしょう。救っていただいたからです。また、主が素晴らしいお方だからです。5~6節を見ると、神が弱い人に寄り添って下さることが分かります。

みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。
神は孤独な者を家に住まわせ、捕われ人を導き出して栄えさせられる。
しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。(5~6節)

 両親を失った子供、夫に先立たれた女性、孤独な人、囚人、これらの人々は最も弱い立場に置かれた人です。けれども、主は、このような人の神なのです。主は見捨てません。差別しません。神がみなしごの親代わりになってくれます。

「ほむべきかな。
日々、私たちのために、重荷をになわれる主。
私たちの救いであられる神。」(19節)

 19節はキーワードです。また、主イエスの言葉を連想させてくれます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

江戸時代末期の1864年、外国人のための礼拝堂建設が許され、長崎に大浦天主堂が完成しました。翌年の3月、10数人の農民が教会堂を訪れ、プティジャン神父にこう語りました。「ここにおります私たちは、あなた様と同じ心でございます。」キリシタン禁令から250年、そこに現れた隠れキリシタンは、7代目の信徒でした。
後に彼らは政府により流刑とされ日本各地に散らされ、拷問を受け、662人が命を落としました。1873年にキリスト教禁令が廃止され、故郷に戻された人々は、苦しかった6年間の流刑を『旅』と言うようになりました。
 
あなたの重荷は何ですか。重荷につぶされそうですか。本来、重荷とは自分で負えないゆえに重荷です。どんな重荷も、主に話し、ゆだねましょう。主が背負ってくれます。

神の力を認めよ。みいつはイスラエルの上に、御力は雲の上にある。(34節)

 →あなたの番です
  □主は私たちの旅を守ってくれます
  □人生の旅の間中、私たちは主を賛美する
  □主は重荷を背負って下さる