エステル記


 ひとりの若い女性が、ユダヤ民族を救いました。

 舞台はペルシャ帝国の首都。アハシュエロス王(クセルクセス王、BC486~465年在位)の新しい王妃に選ばれたエステルが、ユダヤ民族を虐殺から救い出しました。

 エステル記には、見えざる神の御手、そして、祈りに裏打ちされた勇気ある行動が描かれています。

1、見えざる神

王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。(エステル記2:17)

 エステルは両親を亡くし、親戚のモルデカイに引き取られて育てられた女性で、姿も顔立ちも美しい人でした。(2:7)ペルシャ王アハシュエロスの新しい王妃を探すため、帝国全土から美しい女性が集められた時、エステルもその一人として招かれ、やがて正式な王妃としてされました。

エステルが王妃に選ばれた事は、単なる偶然だとは思えません。見えざる神の御手が働いていた。そう考えるのが自然です。エステル記には「神」や「主」の名が一度も登場しませんが、逆に、見えざる神が働いておられることが鮮やかに分かります。

王の補佐官にハマンという有力者がいて、彼はユダヤ民族を根絶やしにする計画を立て(3:6)王の許可を得ました。次にハマンは、ユダヤ人モルデカイを毛嫌いしていたので、モルデカイ殺害の許可を得ようとたくらみました。
不思議なことに、ハマンが来る前夜、アハシュエロス王はどうしても眠れず、過去の記録を調べモルデカイに褒美を与えていなかったことを発見しました。早朝に王のもとにやって来たハマンは、モルデカイに王服を着せ、王の馬に乗せて町を歩き、モルデカイに栄誉を与える役を王から命じられました。アハシュエロス王が眠れなかった事も偶然ではなく、見えざる主の御手があったのです。

見えざる主の御手は、今もあります。あなたは、それを信じますか。

 

2、この時のため

 「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル記4:14)

 モルデカイは、ユダヤ民族抹殺計画の全貌をエステルに伝えました。危機的な状況を今ひとつ飲み込めないエステルに、モルデカイは厳しい言葉を言いました。今、あなたが沈黙すれば、みんな滅びる。ユダヤ民族を救うよう王に懇願するために、あなたは王妃に導かれたのだと語りました。育ての父が養女エステルに、本気で語った激しい言葉です。

「もしかすると、この時のためであるかもしれない。」この言葉は、あなたに当てはまります。あなたがその職場にいること。あなたが母であること。あなたがアメリカにいること。あなたが、今、生きていること。「この時のため」なのだと気づいたら、勇気を出して行動しましょう。

 「私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(4:16)

 エステルは断食して祈りに集中しました。また、ユダヤ人の仲間にも頼んで、同じように祈ってもらいました。自分が祈る事と、誰かに祈ってもらう事、それは、何か大きな試練に立ち向かう時にどうしても必要なことです。あなたも祈り、祈ってもらいましょう。 
 本気で祈ると二つの事が生まれてきます。一つは、知恵です。思いもつかなかったアイデアが出てきます。二つ目は、勇気です。火事場の馬鹿力以上のすごい力です。

 あなたは、今、直面している問題の解決のために、そこにいます。



3、主は救い主

王が、庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。そこで、エステルは近寄って、その笏の先にさわった。王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」エステルは答えた。「もしも、王さまがよろしければ、きょう、私が王さまのために設ける宴会にハマンとごいっしょにお越しください。」(5:2~4)

 エステルは王とハマンを宴会に招き、願いを打ち明けずに翌日の宴会に持ち越しました。これは、祈りの結果与えられたアイデアです。王をじらしました。王は、何としてもエステルの願いをかなえたいとさらに強く願ったのです。
 次の日エステルは、自分が殺される運命にあると王に告げました。これは、極めて劇的な言い方になりました。ハマンがエステルとその民族を殺そうとしていることが暴露されたのです。(7:1~8)王は憤ってハマンを殺しました。(7:9~10)ユダヤ人殺害の日に自衛手段を行使できる法令も王に許可され、虐殺を免れました。(8~9章)

主は、救い主です。見えざる神は、見える形で安全と命を与えて下さいました。

ハマンがプル(くじ)を投げてユダヤ人皆殺しの日を決めましたが(3:7)、それを記念してユダヤ人は今も2~3月ごろに「プリムの祭り」(=プルの複数形)を祝っています。

「ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉の日であった。」(8:16)

 1900年、中国で「義和団の乱」が起きましたが、この外国人排斥運動の高まりで多くの外国人が殺されました。サイデンストリッカー宣教師家族も中国人暴徒に狙われていることがお手伝いさんの情報で分かりました。夫の宣教師は伝道旅行中だったので、奥さんのキャロラインは祈り、一人で立ち向かうことにしました。深夜、手に武器を持った男たちがやって来ました。リビングに明かりが灯し、お茶とお菓子をふるまい、子供たちには晴れ着せて迎えました。拍子抜けした暴漢たちは、お茶を飲み、お菓子を食べて帰ってしまいました。多くの外国人だけでなく、プロテスタント宣教師が130人以上が殺され事件でしたが、サイデンストリッカー宣教師一家は母の機転で助けられました。
 これは、当時9才だったパール・バックの体験で、後に『母の肖像』に詳しく書かれています。キャロラインも、祈って、知恵を得て、立ち向かった人でした。

 あなたも一生に一度か二度、人生の大舞台に立ちます。この国に来たのはこの時のためだと分かったなら、主に祈って、勇気を出して、立ち向かって下さい。見えざる神は、見える形であなたを救ってくださいます。

 →あなたの番です
□見えざる神が、救って下さる
□この時のために、ここにいる