伝道者の書



 空の空。すべては空。
 
 これは仏教の経典ではなく、聖書で最も異彩を放つ「伝道者の書」の冒頭の言葉です。


1、すべては空

方丈記は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」と言いました。平家物語は、「奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」と語りました。それより2000年前に、伝道者の書はソロモンによって書かれました。

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。(伝道者の書1:2~3)

 すべては繰り返しで、新しいものは一つもなく、すべては空しいと述べています。

 私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。(2:1~2)

 快楽や富を追及しても、そこには空しさが残ります。また、事業を拡張して成功しても、知識を増やしても空しい。知恵ある者も知恵のない者も結局は同じ死に至るので空しい。社会には恐ろしいほどの不平等があり、正しい者が苦しみ、悪者が大手を振って歩き金持ちになって長生きしている。人生は空しいと語ります。

実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。(2:22~23)

 空しさは、生きる推進力を奪います。私も、まだ教会に通う前の高校時代、空しさで押し潰されそうでした。あなたは、どうですか。心に空洞がありますか。


2、神のなさること

人生が空しいなら、生きる価値がない。それが論理的結論です。でもちょっと待って下さい。人間の手が及ばない領域を手がかりに、別な角度から考えてみましょう。

 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
(3:2~8)

 この部分を読むと、不思議に納得感がやって来ます。人の手が及ばない領域が確かにあります。その領域は神の御手です。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。(3:11~14)

神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。(7:13)

 かけがいのない人が死に、大切なものを失い、思いもかけない不幸に巻き込まれるのが人生です。やがて私も死んで行きますし、その時を選べません。それが人生です。嬉しいことも辛いことも、神の御手にある。神が曲げたものはまっすぐにできない。それらを悔やみ続けたり、誰かを恨む生き方もあります。でも、神のなさったことは、時にかなって美しいと思えるようになれたら心は穏やかになります。

 神は創造主。私たちは神に造られました。そして、神は私たちを愛しておられれます。この空しい世界で、ただ一つ、空しくない存在があります。それが神です。ただ一人、信頼できる方が神です。「人は神を恐れなければならない」その通りなのです。



3、くよくよしない生き方へ

見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。(5:18~20)

神を認め神を恐れ敬って生きるなら、空しい人生に喜びを見い出せます。小さな幸せを味わえます。食べたり飲んだり、仕事をしたり、物を所有したりして喜べるのです。くよくよしないで生きられます。

あなたのパンを水の上に投げよ。
ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。(11:1)
朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。
あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。
二つとも同じようにうまくいくかもわからない。(11:6)

上記の言葉はとても積極的です。空しく見える人生であっても、神を恐れつつ歩むなら希望が生まれるのです。
大切な事は、今(あなたの人生で最も若い日に)、神を信じ、創造主を恐れ敬って生きることです。そうすれば、空しい世界であっても、あなたの人生が空しくなることはありません。これが伝道者の書の結論です。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。
(12:1)

森村市左衛門(1839-1919)は1904年にノリタケカンパニーを興し、陶磁器を製作して輸出、やがてアメリカで超人気ブランドになりました。ちょうど食器を製作・輸出をしている頃に森村は教会に通い始め、彼の考えがあったのでしょうが洗礼は死ぬ2年前に受けています。渋沢栄一は、森村が「以前から熱心な基督教信者であって確固たる信心に従容して」いると評価していました。森村は事業の成功や金銭的な豊かさに流されず、堅実に歩み、慈善事業に貢献し、神を伝える働きに貢献しました。彼は、成功や快楽の空しさと無縁な人で、水の上にパンをまいた人と言えるでしょう。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。
神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(12:13)

 →あなたの番です
  □神のなさる事は時にかなって美しい
  □創造主を覚えつつ、人生を見よう 
  □くよくよせずに、種を蒔け