雅歌


 雅歌は愛の歌です。花嫁が花婿と一体になることを恋焦がれる歌です。


1、あの方の腕の中に

あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛はぶどう酒よりも快く、あなたの香油のかおりはかぐわしく、あなたの名は注がれる香油のよう。それで、おとめらはあなたを愛しています。(雅歌1:2~3)

 雅歌には神の名も、祈りも、律法も、祭司も、預言者も出てきません。でも、間違いなく神の言葉、聖書の一部です。
 雅歌の大前提は、神が男女を創造され、両者が互いを愛し求めるように神が造られ、性愛が結婚した男女に神が下さった賜物で良いものである、という事です。雅歌には、間接表現、比喩表現ではありますが男女の性愛が肯定的に描かれています。

 雅歌の冒頭の2節「あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。」は、まさにベサメムーチョ(スペイン語で、たくさんキスして)です。花嫁が、花婿の熱い口づけを待ち焦がれています。2:6では口づけだけでなく、強く抱きしめてほしいと花嫁が歌います。同じ言葉は8:3でも繰り返されます。

 ああ、あの方の左の腕が私の頭の下にあり、
右の手が私を抱いてくださるとよいのに。(2:6)

雅歌をミュージカルだと理解すれが分かりやすいです。花嫁が、花婿と一つになれる喜びをソロで歌います。突然に花婿が登場して、彼女の素晴らしさを情熱的に歌い出します。唐突に、周囲の友人達がコーラスで歌います。これが雅歌の構成です。(誰がどの部分を歌っているのか判別が難しい点が雅歌解釈の難しさになっています。)

以下は花婿が花嫁をたたえる歌です。第三者が照れるほどの愛の言葉です。

女の中で最も美しい人よ。(1:8)
 ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。
あなたの目は鳩のようだ。(1:15)
わが愛する者が娘たちの間にいるのは、いばらの中のゆりの花のようだ。(2:2)
あなたは私の心を奪った。(4:9)
 
花婿に愛される喜びや、花婿を愛す喜びが雅歌にあふれています。雅歌は感性で味わうものです。感性の素晴らしさは理詰めでは得られない体全体で感じる高揚感です。
一方で、感性には弱点があり、理屈なしに突然襲ってくる不安があります。3章と5章で花嫁は花婿を失う夢を見て、不安に陥ります。

雅歌の特徴は、花嫁と花婿の性愛の表現です。香水の香り、ぶどう酒の味わい、秘密の庭などが多様されますが、比喩的な表現です。大好きな人と心も体も一つになるという事は大きな喜び、分かちがたい深い絆です。

私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、なんと麗しいことよ。あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、あなたの香油のかおりは、すべての香料にもまさっている。花嫁よ。あなたのくちびるは蜂蜜をしたたらせ、あなたの舌の裏には蜜と乳がある。あなたの着物のかおりは、レバノンのかおりのようだ。
私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。あなたの産み出すものは、最上の実をみのらすざくろの園、ヘンナ樹にナルド、ナルド、サフラン、菖蒲、肉桂に、乳香の取れるすべての木、没薬、アロエに、香料の最上のものすべて、庭の泉、湧き水の井戸、レバノンからの流れ。
北風よ、起きよ。南風よ、吹け。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。私の愛する方が庭にはいり、その最上の実を食べることができるように。(4:10~16)

結婚は唯一無二の深い絆です。性的な結合は、夫婦が一層深く結びつくために神が与えて下さった接着剤です。夫婦が性的に結ばれるということは、欲求の充足という浅いレベルで終わらず、感性における一体感の喜び、霊的な満足、根源的な孤独を慰める喜びを与えます。「ああ、慰めに満ちた愛よ。あなたはなんと美しく、快いことよ。」(7:6)という言葉は、そのような文脈で語られたものです。

「Date your wife」という英語の本があります。Justin Buzzard牧師が書いた夫婦に関する良い本です。その中に、結婚60周年を迎えたニックとスーという年配のクリスチャン夫婦の話が書いてあります。ニックは80歳で奥さんは少し年下、二人は言います。新婚時代のセックスよりも、十年後のほうがもっと素晴らしかった。さらに10年後のほうが素晴らしかった。そして、今が最も素晴らしいと言うのです。二人が、日頃どんなに相手を大切にし、努力を重ね、耳を傾け、助け合ってきたかが分かる証言です。

 あなたも、神が下さったプレゼント、慰めに満ちた愛を大切にして下さい。


2、主イエスの花嫁としての喜び

 新約時代、パウロやヨハネは、雅歌の霊的な意味を深めました。雅歌の主人公は花嫁でしたが、新約時代、主イエスを花婿にたとえ、教会(=クリスチャン)を花嫁にたとえました。

夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。(エペソ5:25~27)

私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。(ヨハネ黙示録19:7)
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。(ヨハネ黙示録21:2)

地上においてクリスチャンは、主イエスが私たちの内におられることは知っていますが、一体感がいまひとつ足りません。やがて、主イエスにお会いする日に、私たちはきっと雅歌の言葉を自分の言葉にできるでしょう。

雅歌の花嫁は自分の皮膚が黒いことを恥じていましたが(雅歌1:5~6)、花婿は「女の中で最も美しい人よ」(1:8)と呼びかけました。私たちも、心が汚れ、黒い罪を持つ者ですが、主イエスは私たちに言ってくれるでしょう、「わが愛する者、美しい人よ。さあ、立って、出ておいで」(2:10)と。雅歌の花嫁は花婿に言いました。「あの方のすべてがいとしい。」(5:16)また、「私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。」(6:3)と3度も言いました。私も、主イエスにお会いする日に言いたいと思います。「真心からあなたを愛しています。」(1:4)

雅歌は、主イエスの私たちへの愛がどんなに深いものかを気づかせてくれます。また、主イエスを愛す表現を教えてくれます。そして、私たちは今この時も主イエスと一つなのだということを分からせてくれます。

「わが愛する者。あなたはなんと美しいことか。」  「真心からあなたを愛しています。」

 →あなたの番です
  □夫婦の一体感を大切に
  □主イエスに愛され、主イエスを愛す