マタイ6:13  試みに会わせないで

 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕(マタイ6:13)

 「主の祈り」の括弧に囲まれた部分は原文にはありません。つまり、主イエスさまが教えてくれた「主の祈り」には無かったので触れません。ずっと後の時代になって、礼拝式の中の主の祈りに頌栄としてこの部分が追加されたようです。この追加文は、ダビデの祈り(第一歴代誌29:11)が元になったと言われています。


1、試みに会わせないで

「試みに会わせないで」(マタイ6:13)

 私は高校に入学して運動部に入りましたが、毎日が試練になりました。練習が厳しく、筋肉痛になり、駅の階段の上り下りすら困難で、夜は机に向かうとすぐに眠り込んでしまいました。1ヶ月過ぎると、鍛錬によって筋力が付き、持久力も出てきました。

新しい職場、新しい場所、新しい人々との出会いは試練となります。自分の能力を超えた仕事や出来事も試練になります。基本的に聖書は、試練を良いものと捉えています。試練によって私たちが鍛えられ、思いやりのある人になり、信仰飛躍の機会になるからです。

ただし、命を失うとか破壊的な結果を及ぼす大きな試練は有害です。それで、私たちは父なる神に願うのです。あまりにもひどい試練に会わせないで下さい。つぶされないように、守ってくださいと祈るのです。

そもそも、私たちはみな、赤ちゃん時代、幼児や小学生の頃、両親に守られてきました。「私も自転車に乗れるんだ」と誇らしげに運転していても、後ろで親が倒れないように支えています。
神も私たちを守ってくれています。残酷な試練に出会わないように神がプロテクトしてくれたのです。今までの主の守りを感謝しましょう。これからの人生も主の守りあります。父なる神に信頼し、試練に会わないように祈りましょう。

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(第1コリント10:13)

私たちが出会う試練は、必ず乗り越えられるのです。
  

2、悪から救ってください

「悪からお救いください。」(マタイ6:13)

私たちは、悪に直面することがあります。邪悪な人が、職場や学校や周囲に現れ、あなたを苦しめることがあります。いじめ、セクハラ、パワハラで苦しめられることがあります。身近な人が何らかの依存症になり、あなたが金銭的、精神的、身体的に損害を受けることもあります。

私たちが悪と直面するとき、自分の小ささ、弱さを実感します。私は、誠実に、愛をもって、精一杯生きているけれども限界ですと神に伝えましょう。私たちの父さんに、緊急電話をして、「父さん、助けて。この悪から救って下さい」と願いましょう。父なる神は助けてくれます。

ダニエル・デ・フォーが1719年に書いた小説『ロビンソン・クルーソー』は、難破して無人島で生き抜いた人の話です。いかにサバイブしたかという点に主眼は無く、荒くれ者が神を見出し変えられる姿こそ著者の言いたい点なのです。
ロビンソンが島で病気になり、初めて聖書を読む場面が書いてあります。その時読んだ箇所が詩篇50篇15節でした。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50:15)
うまれて初めて膝をかがめて神に助けを求め、心に平安を得るようになり、朝に夕に聖書を読む人に変えられていきます。

私たちも祈りましょう。悪人の悪をとどめることができるのは神だけです。悪から助けてくださいと願いましょう。

   
3、とりなしの祈り

「私たちを」(マタイ6:13)

この部分も、主語は「私たち」です。あなたの周囲にも試練や悪と直面している人がいるはずです。その人たちが破壊的は試みに会わないよう、悪に苦しめられているあの人が救い出されるようにと祈りましょう。

 →あなたの番です
  □主にずっと守られ助けらて来たことを感謝!
  □父よ、これからも、守って、助けてください
  □あの人もこの人も、守り、助けて下さい