マタイ10:1~4 十二弟子

 弟子はギリシア語でマセーテース。その意味は、学ぶ者です。

1、寄り添う人になる

 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。(マタイ10:1) 

主イエスは、なぜ十二弟子を選んだのでしょう。主イエスが天に上った後も、働きを継続させ、拡大させるためです。10章以降は、弟子の訓練についてかなり詳しく書いてあります。

主イエスの主な活動はマタイ9:35に簡潔に書いてあるように、①会堂で教える、②御国の福音を伝える、③病人をいやす、でした。弟子たちも同じことをする必要がありますが、まず命じられたことは病人をいやすことでした。主イエスは弟子たちに、悪霊を制する権威、病気をいやす権威を授けたのです。病をいやす権威を十二弟子に授けること自体が主イエスが神である証拠になります。
病をいやすためには、病で悩み苦しむ人たちの話を聞く必要があります。つまり、悩む人々に寄り添うことが十二弟子の最初の仕事になったのです。

あなたの番です。主イエスは、今も、弟子を求めておられます。働き人が少ないのです。あなたも、悩む人や苦しむ人に寄り添い、話を聞き、具体的に助けましょう。そういう人がキリストの弟子です。



2、変えられた弟子

 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。(マタイ10:2~4)

 主イエスは徹夜の祈りをして十二人を選びました。(ルカ6:12~13)選ばれた人は、権力者ではなく、家柄の良い人ではなく、学問もない人でした。ほとんどはガリラヤの漁師で、まさに庶民です。

バルトロマイ、アルパヨの子ヤコブ、タダイについてはほとんど記述がありません。アンデレ、ピリポ、トマス、福音書に数度登場するだけです。せっかく弟子に選ばれたのに、イスカリオテのユダはユダヤ当局と結託して主イエスを裏切りました。

 ペテロは漁師でした。長所は、強い好奇心と積極性です。短所は、調子に乗りやすい、誘惑に弱い所です。シモンが本名ですが、主イエスが「ペテロ」というニックネームを付けました。これは、目標であり、励ましを意味する名前です。シモンはこんにゃくのような人ですが、やがてペテロ(岩)のようになる。
 十字架前に主イエスを知らないと3度言い、激しく悔い、復活の主に出会って別人のように変えられました。ペテロは神殿の門にいた足なえを主イエスの御名によっていやし、大勢に福音を語ったために捕縛され尋問を受けましたが、「無学な、普通の人」の「大胆さ」(使徒4:13)が際立ちました。ペテロは変えられ、岩のような人物になったのです。

ヤコブとヨハネは兄弟で、主イエスは彼らに「ボアネルゲ=雷の子」(マルコ3:17)というあだ名を付けました。主イエスを拒絶したサマリヤ人を焼く尽くしましょうと提案したほど(ルカ9:54)怒りっぽい人達でした。ヨハネはやがて、愛の使徒と呼ばれるまでに変えられます。ヤコブは最初の殉教者になり、忍耐の極みまで働かせました。

マタイは、十二弟子の名前のリストに、自分の名に「取税人」という解説を加えています。マタイを取税人と書いているのは「マタイの福音書」だけです。極悪非道の取税人稼業の過去を書き入れ、主から受けたあわれみを忘れないように、謙虚に生きるようにと自戒しています。

十二弟子のその後の人生を見ると、以下の事が鮮明になります。イエスは弟子を育てる天才です。
普通の人が、輝く人に変わった。
短気な人が、愛の人になった。
裏切った人が、殉教を恐れない人に。
疑い深い人が、信仰の人に。
無学な人が、聖書を教える人に。
罪人が、きよい人に。

 聖書では、主イエスを信じて、病気がいやされた人が大勢出てきます。彼らは弟子と呼ばれず、信じた人とみなされています。
 十字架から約10年後、アンテオケ教会でキリストの弟子たちはクリスチアノスというニックネームを外部の人から付けられました。(使徒11:26)それは、「キリストのもの」、「キリストの追従者」という意味です。英語にすればクリスチャン、日本語ならキリスト者です。彼らはキリストの弟子でした。

 あなたは、キリストの弟子ですか。
 主イエスの言葉の意味が分からない、キリストに質問してみたいことがある、どうしたらうまくいくのかキリストからアドバイスがもらいたい、そう思っている人はキリストの弟子です。主イエスから学ぼうとしているからです。
 信仰面で失敗したことある人、伝道してうまくいかないと悩む人がいますか。その人もイエスの弟子です。主イエスのようになりたいと願っているから悩むのです。イエスの助言を受けて、自分の生き方を変えたいと願っているからです。
 十二弟子は、何度も主イエスに質問し、何度も失敗をしました。質問する、失敗する、それが弟子の印です。このプロセスなしに弟子にはなれません。

主イエスは、十二弟子のリストの後に、あなたの名前を入れたいと願っています。「わたしについてきなさい。」(マタイ9:9)と言ってマタイを招かれたように、あなたの名を呼んでいます。自分をイエスの弟子として意識しましょう。

主イエスよ、あなたから学びます、あなたが夢見た神の国を建設するために私にできることをします、と言いましょう。主イエスが、あなたのを本物の弟子に変えて下さいます。

あなたは何を主イエスから学びますか。何を今週行って、弟子として歩みますか。

「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。」
「わたしのことばにとどまるなら、
あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。」(ヨハネ8:31)

→あなたの番です
 □弟子は、学ぶ者 □悩む者に寄り添う人になる
 □弟子になろう