マタイ12:46~50 主イエスの家族

「家族の者がその人の敵になります。」(マタイ10:36)と、主イエスが言われたことがありますが、主イエスの家族でもそれが起きました。


1、イエスの肉親
イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」(マタイ12:46~47)

 主イエスの実家は、丘陵地帯のナザレという町にありました。母マリヤと弟たちはガリラヤ湖畔まで下りて来て、おそらくカペナウムの町までやって来たのでしょう。兄弟たちとは弟たちのことで、マタイ13:55によれば、「ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ」です。

 マルコの福音書は、マリヤと弟たちが来た理由を率直に書いています。「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。『気が狂ったのだ』という人たちがいたからである。」(マルコ3:21)
イエスの家族は、パリサイ人たちが流した悪い噂を信じてしまったようです。イエスの気が狂っていたら、弟4人なら力ずくで連れ戻せると考えたのでしょう。ヨハネ7:5によると、「兄弟たちも、イエスを信じていなかった」ことが分かります。
 パリサイ人から批判と悪口の集中砲火を浴びていた主イエスですが、家族まで敵に回してしまいました。

 私たちも、家族に信仰を理解してもらえず、馬鹿にされたり、けなされたりすることがあります。主イエスは、私たちの立場を体験的に分かってくれます。

 主イエスはこの時、母や弟たちと議論しませんでした。このタイミングでは無駄だと判断されたのでしょう。おそらくこの2年後、弟たちは主イエスを救い主と信じました。「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(使徒1:14)信じるのに時があるのです。



2、イエスの真の家族
しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マタイ12:48~50)

家族が来ていると知らせてくれた人に、主イエスは禅問答風に言われました。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」その人が答えに窮していると、わざわざ手を伸ばして、この人たちがわたしの家族だと言われました。示した人々は、主イエスの弟だちではなく、弟子たちでした。家族はそれを見て驚いたことでしょう。この後、主イエスが家族と話したとは聖書は書いていません。

家族とは、血のつながりを土台とした、世界で最も大事で濃密な人間関係です。私たちは家族に愛され、育てられ、一人前になります。やがて、互いに助け合う一員になります。

主イエスは、家族の定義を大きく変えました。血縁や人種や言語や親密さが神の家族の絆ではなく、父なる神のこころを行う人が主イエスの家族だと言われました。人生の目的の一致。父なる神の夢を実現する人。神の国建設に携わる人。それが主イエスの家族です。

 ある青年が大学院で学んでいました。お父さんが危篤と知らされて病院に行きました。今まで父に反抗してきたのですが、素直な心になってベッド脇でこう言いました。「お父さん。もう心配しないでいいよ。お父さんの遺志はしっかりと僕が継ぐからね。」息子は学校を中退して、父の社長職を引き継ぎました。
 父の心を行ったことで、彼は真の意味で家族になったと言えるかもしれません。

 父なる神の心とは何でしょう。自分の言葉で言い換えてみましょう。
 正しく生きる。人に優しくする。誠実に生きる。謙遜に生きる。忍耐する。仕える。育てる。ケアする。励ます。慰める。与えられた使命を全うする。
 今週、父の心を一つでもしてみましょう。

父なる神の心を行おうと願い、具体的に実行する人に対して、主イエスはこう言ってくれます。あなたは、わたしの家族だよ。あなたは一人ぼっちではない。


→あなたの番です
 □あなたは一人ぼっちじゃない
 □あなたは神の家族の一員
□父なる神のみこころを行ってみよう