「ツォファルの言葉」 ヨブ記11章1~20

 今日は、「オムニポテンス」という言葉を心にとめてください。ラテン語で全能を意味する言葉です。オムニはすべて、ポテンスは可能とか力などを表します。ハレルヤコーラスでも、オムニポテンツという英語で主をたたえますね。
 7節の言葉を中心にすえて考えてみましょう。

 「あなたは神の深さを見抜くことができようか。
全能者の極限を見つけることができようか。」(7節)

 ヨブの友人の3番手はツォファルで、自説を11章で披瀝します。(翻訳によってはゾパル。原語のヘブル後の発音としてはツォファルに近い)どうやらツォファルは3人の中で一番若いようです。そのせいか、語気が強いですね。ヨブの言葉にかなり苛立っています。20章、2巡目のツォファルの言葉にも怒りが感じられます。3巡目でツォファルの番がやってきても、結局は声を発していません。<切れた>のかもしれません。

 ツォファルの要点は3つです。
1) ヨブのおしゃべりは詭弁であり、無駄話だ。

「ことば数が多ければ、
言い返しができないであろうか。
舌の人が義とされるのだろうか。」(2節)

ツォファルは、魂を削るようなヨブの叫びを表面的にしか聞けない人です。実に残念で、さびしいことです。4節でヨブの言葉を引用しますが、ヨブが9章21節前後で述べた苦悩など見過ごしています。

2) 神は全能者であり、人間は及びもつかない。

「あなたは神の深さを見抜くことができようか。
全能者の極限を見つけることができようか。
それは天よりも高い。あなたに何ができよう。
それはよみよりも深い。あなたが何を知りえよう。
それを計れば、地よりも長く、海よりも広い。」(7~9節)

ツォファルは神についての真理を語りました。残念なことに、否定的な調子を含んでしか話せません。全能者の前で人は何もできない、神と争えないし、神のすべてを知りえない。ヨブのしている事は無意味だと説得している。

3) 自分の悪を神にわびれば、幸せが来る。

「あなたの手に悪があれば、それを捨て、
あなたの天幕に不正を住まわせるな。」(14節)

他の友人二人と同じ主張で、ヨブに罪を悔いるよう勧めました。そうすれば、明るくて、安らぎに満ちた未来が待っている(17~18節)と諭したのです。

 ヨブは、また一つため息をつき、否定的に真理を語ったツォファルの言葉に打ちのめされたことでしょう。けれども、神が全能であることは、まぎれもない真理です。ですからツォファルの言葉は、全能者を見上げる機会を多くの人に提供しています。

 横田めぐみさんのお母さんは、友人に勧められてヨブ記を読んだのですが、1章21節の言葉が心に染みただけでなく、今日の7節にも強い印象を受けたと言われています。全能の神は、人間の力では及ばない、深くて大いなる方だと気づきました。全能者。その大きさの前で、なにか心にストンと府に落ちるというか、心のうなずきが生まれたようです。

 私たちも、全能者である神の前に静かに立つことが必要ですね。ヨブは、ツォファルの言葉を承知済みであると12章で反論しますが、ヨブの結論的な言葉として次のような内容を心から語っています。

「あなたには、すべてができること、
あなたは、どんな計画も成しとげられることを、
私は知りました。」(42章2節)

 オムニポテンス、全能。神が全能であることを、はっきり理解できたら、人生はきっと大きく変わるでしょう。全能の神に人生をゆだねることができます。困難なとき、安らぎを持てます。あなたも、全能者に信頼して歩きましょう。

 ニール・アンダーソンという聖書翻訳宣教師がパプア・ニューギニアで20年間活躍しました。村の人がジャングル奥地に入って狩に出ると聞き、彼は同行しました。ノブタやニシキヘビ、小動物や鳥を捕まえた夜、二人の村人の間に座って雨宿りをしました。右の人は、カブトムシを焼いたものを食べてます。左の人は、カブトムシの幼虫を竹筒に入れてあぶり、うまいよと宣教師の膝に置きました。アメリカ人宣教師が清水から飛び降りる覚悟で口に含むと、村人が背中をたたいて喜んでくれました。
 ある朝、イワシの缶詰のように同行者20人と横になって眠った翌朝、誰かの独り言が聞こえます。よく聞くと、祈りの言葉でした。「ここはあなたの森ですが、どうぞ獲物が捕れるよう助けてください」。別な男も祈っています。「残してきた妻や子供たちが守られますように」。次の祈りも聞こえます。「アメリカ人宣教師が村の言葉を理解して、神の言葉を俺たちに伝えてくれますように」
 素朴で、力強い、本音の祈りでした。アンダーソン宣教師は、村人の祈りに深く心動かされました。

 全能者を信頼した人は、人生が変わります。オムニポテンス、全能の神を生活の場で信じましょう。