ヨブ記38章1~41節 嵐の中で語られる主

ヨブ記の結論部分に入ります。

 ヨブと友人3人の対話は、平行線をたどり、感情的にもつれ、堂々巡りに陥り、ついに31章で暗礁に乗り上げました。「この三人はヨブに答えるのをやめた。それはヨブが自分は正しいと思っていたからである。」(32章1節)
 議論を聞いていた若者エリフは怒りに燃え、32章から37章で持論を展開しました。荒削りで率直な若者らしい意見です。その中身は、38章以降で神がヨブに直接語りかける内容に、かなり似ています。ヨブが神を見上げるための道筋をエリフが整理したともいえます。

 それまで沈黙を保ってこられた神が38章でヨブに語りかけます。
「主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
知識もなく言い分を述べて、
摂理を暗くするこの者はだれか。」(38:1、2)

 第1に、「答えて仰せられた」に注目してください。
神の沈黙と感じられた長い時間は、神が傾聴しておられた時間だったのです。苦難の中でヨブが発したすべての言葉は神に聞かれていたのです。それで、神は答えたと書かれているのです。深い思いやりと忍耐があって初めて、打ち明け話や恨みつらみを長時間聞けるのです。神はあなたに沈黙しているのではない。神は、あなたのうめきと悲しみ、祈りにできないあなたの心を聞き取っておられるのです。
 エリフは36章15節で「神は悩んでいるものをその悩みの中で助け出し、そのしいたげの中で彼らの耳を開かれる。」と言っています。

 第2に、「あらし」に目を留めてください。
嵐とは何でしょう。神の怒り。神の力。神の臨在。それらすべての表れとみることができます。いつもの風が止み、黒雲が湧き出て周辺を暗くしたかと思うと、強烈な風がゴーゴー吹き荒れたのでしょう。稲光が怪しく光り、大音響の落雷も起きたかもしれません。おそらくヨブは、風をまともに顔で受け止めながら、神の声に耳を傾けたことでしょう。
 順風満帆のとき、人はのほほんとなって神を忘れるものです。けれども、人生の嵐に直面すると、真剣に神を求めます。そういう意味から、嵐の経験こそが意義深い経験と思える日がきます。

 第3に、「摂理を暗くする」を見てください。
 神がヨブに語られた中心メッセージは、ヨブの知識があまりにもお粗末だという指摘です。不十分な知識で語り続けるなら、節理を暗くすると指摘されました。有限で罪深い人間は、実は何も知らないのです。
 摂理を暗くするとは、どんなことでしょう。ヘブル語で「エーツァー」という言葉を、新改訳聖書は「摂理」と訳し、他の聖書は「はかりごと」、「経綸」などと訳しています。摂理とは、私たちが知りえない崇高で深遠な神の支配を表します。
 その神の支配や深いみこころ、思いやりを疑ったり、曲解してはいけません。運命は冷たいものですが、摂理は温かいものです。私たちの試練や苦しみを大きく包み込む神の摂理に信頼しましょう。